隠してことを収めようとする教育界の体質こそ問題

連日マスコミはついこの間まで騒いでいた「いじめ問題」に代わって、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が体罰を受けて自殺した問題を取り上げ、文科省や各自治体もその対応に追われているようだ。

私も中学時代、先生から竹の根節でたたかれたことがあったし、大学の体育会に所属していたから先輩に殴られたこともあった。心ならずも後輩を殴ったこともある。しかし、それはみんな「愛のムチ」ともいうべきもので、相手にケガをさせるようなものではなかった。だからと言って私は体罰を是認しているわけではないが、特にスポーツの世界では教育的指導としてよくあることだ。桜宮高校の体罰を与えた顧問の教師の振る舞いは教育的意義は全く見られないし、「愛のムチ」どころか刑事事件にすべき犯罪行為であり、決して許されるものではない。

もう一つ、大津市で起こった「いじめ」にしろ今回の大阪市の「体罰」にしろ学校当局や教育委員会の隠ぺい体質こそ大問題で「隠してことを収めようとする構造」にメスを入れなければまた同じようなことが起こる。

更に言えば、殴られた本人の心に寄り添ってやる人、友人や家族がいなかったのか悔やまれてならないことと、子供たちが生きることにもっと執着する、生きる力を養う教育が必要だと痛感している。特別な人は除いて難しい数式を覚えるよりたくましく生きる力を学ぶ方がずっと人生において大事だ。