いまはテレビのチャンネルどこを選んでも民主党の代表選挙ばかり、恥知らずの猿がボスの座をめぐって権力闘争しているようにしか見えない劇に国民が振り回されている。
昨年の8月30日は衆議院選挙の投票日、僕にとっては政治生命を絶たれた命日に当たる。あれから一周忌を迎えたわけだが、いま生まれ変わって違った目標に向って活動できていることがありがたい。毎朝7時から1時間駅前でマイクを握っていた生活とは大違いだ。
朝6時に起きて家内と庭の草むしり、畑で朝ごはんのきゅうりや唐辛子を採って来て「ゲゲゲの女房」を見ながら朝食である。9時には隣の離れに移って「きみかげの森」の事務所で仕事、下界での用事があると車で出かけるが、夜はよほどのことがない限り都祁に戻ってくるのが日課である。下界と比べ4~5度Cも涼しいのだから冷房無しでグッスリ眠れるのがなにより。頭はこれからのNPO活動や地域おこしのことでいっぱい、はやく思い描いているような森をつくりたいものだ。
マーチャンメルマガの読者から「森岡さん、この頃ぼやきが多いでんなあ」といわれた。その通り、負け犬が何を言ってもしょうがないけど今の政治や社会現象を見ているとぼやきたくもなる。「龍馬伝」にでてくる龍馬や西郷の私心の無い国を想いたぎるような情熱が今の為政者から全く感じ取れないのは悲しいことだ。急激な円高・株安への対処、新卒大学生の4割が就職できないこと、親の死を隠してチャッカリ年金をもらう親族の問題などどれもこれも放置できない課題なのに、政治家は口先だけはいいことを言うが、なにも出来ていない。僕も現役のとき有権者からそのように思われていたんだろうなあ。
「ゲゲゲの女房」で漫画家の水木茂役 向井理君のブログを見て感心した。「国の責任者が(靖国神社)に参拝するのは当然の義務じゃないのか。」「必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気持ちでいっぱいです。」と書いている。こんな若者ばかりだったら日本の将来も安泰なんだがなあ・・・・・・いまは中高年も変な人が増えているから。
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甲子園では沖縄の興南高校が優勝した。この猛暑のなかで連投連投を耐え抜いた島袋投手をはじめ興南高校の選手や監督さんたちにこころからおめでとうと言いたい。天理高校が一回戦で姿を消してからずっと沖縄の興南が春夏連覇の偉業を果たしてくれればと応援してきた。先の大戦で一番の犠牲者であり、しかも米軍基地の島として苦労をかけているという負い目があるせいなのか、県民所得や就業率などでは他の県より劣っているのに家族の絆が強く助け合う気持ちがしっかりしていることなど常々敬意を払っているせいか、単なる同情などというものではなく沖縄には勝って欲しいという気持ちが自然に湧いてくる。
孔子は「立派な人間とはどういう人でしょうか」と問われて「己を行うに恥あり」すなわち「自分の行動や言葉の至らないところを知っている人だ」と答えたという。立派な人は他の人から言われなくとも自分の至らなさを恥じてもっと努力しなければと考え自分自身の内なる声によって成長するのだそうです。興南高校の選手たちもきっと「まだまだ」「もっともっと」と思いながら他の高校に負けない努力を積み重ねた結果今日の勝利をつかめたものだろう。慢心することなくこれからの人生を「己を行うに恥あり」のきもちで切り開いて欲しいと思う。
猛暑が一向に衰えを見せないなか、友達に誘われ二日間富士山の裾野でゴルフをさせていただいた。熱中症で300人以上亡くなられたというニュースを聴きながら、申し訳ない気分だった。
またきょうから「己を行うに恥あり」を胸に精進したい。明日は「奈良掃除に学ぶ会」の年次大会、200人余の仲間と共に三笠中学校のトイレ掃除をさせてもらって素の気持ちになろう。
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今年もまた8月15日がやってきた。護国神社の慰霊式典に参加したが戦地に赴いた人達の代表(おそらく90歳をこえておられる)が杖を頼りに玉ぐしをあげておられる姿が痛々しかった。戦後65年も経って靖国神社に総理以下閣僚全員がお参りしないなんてとんでもない。国を代表する人が国家のために命を捧げた人に敬意を払い感謝の気持ちを表す、この当たり前のことが出来ない国は国とはいえない。政治家が中国や韓国の内政干渉に屈したためにこの国の基本を揺るがしている。まことに残念だ。
昨夜NHKのテレビで「日本の、これから 日韓」というテーマで日本と韓国の若者を集めて討論をする番組があって最後まで見ていた。まず「韓国が好きという日本人が62%だというのに日本が好きという韓国人は28%に過ぎない、また韓国人が思い浮かべる日本人の1位は伊藤博文で日本人が思い浮かべる韓国人の1位がペ・ヨンジュンという韓流スター」というのに驚いた。2時間半以上に及ぶ番組であったが、日本の若者があまりにも歴史を知らなさ過ぎることに苛立ちを覚えた。私がいつもいうように、わが国の高校では世界史が必修科目で日本史は選択科目になっている。その上、中学校でも日本史は縄文時代から学び始め近現代史は時間不足や教師の能力不足?から駆け足でほとんど教えられていないのが現状だ。要するに、日本人でありながら日本人のアイデンティティーを育む教育が不足しているうえに、敗戦の後遺症ともいうべき東京裁判史観が教育現場に暗い影を落としている。
それに引き換え韓国では、国定国史教科書によって、日帝の侵略・抗日戦争など国をあげて日本の非道を教え、初代朝鮮統監伊藤博文をハルピンで殺した安重根を英雄とたたえている。要するに韓国の子供たちは日本が朝鮮半島でこれだけ悪いことをしたのだと叩き込まれて大人になるわけだから日本を好きになれないのは当たり前である。韓国では一方的な見方の歴史を教えられ、日本人は歴史を知らないまま大人になるから討論してもかみ合わないし、日本人から反論もできない。
このような状態のなかで菅総理は先日日韓併合100年を迎えるにあたって植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫び」を改めて表明する談話を閣議決定して発表した。1995年の村山総理談話を踏襲したそうだが、韓国側で新たな戦後補償を要求したり賠償問題が解決していない日朝関係に影響しないか心配だ。韓国に過剰に配慮すると禍根を残すことになる。
歴史を知らずして未来を語ることはできないし、国を愛する心も生まれてこない。日本でも近現代史をしっかりと教える教育体制が欲しい。
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最近のニュースの中で、死後ずいぶん経ってから遺体が発見された話とか幼い子供の虐待や育児放棄(ネグレクト)の如何に多いことか、とりわけ大阪西区のマンションで幼児2人の遺体が見つかった昨日の事件は衝撃的だった。逮捕された母親は風俗店で働く23歳、昨年離婚してから2人の子供を1人で育てていたようだが、ニュースによると「育児がいやになって子供を残して家をでた。ご飯や水を与えなければ子供が死んでしまうのはわかっていた」と供述しているという。3歳と1歳の子供がどのような状態で死んでいったのか想像すると「なんとむごいことを」と胸を締め付けられる思いになる。この母親は犬畜生よりも劣ると誰しも思うが、子供を救う手立てがあったのではないかという気がするし、母親を非難するだけではかたづけられない問題があるように思う。
今の日本社会があまりにも閉鎖的過ぎる。この事件も、なんども警察へ110番している人がいたり、民生児童委員の制度もあるのに部屋に入ることができず「なにもなかった」で済ませている。なにかいうとすぐプライバシーが侵される、セキュリティーが心配だとか人権を持ち出す人達がいるが、お互い近所にどんな人がすんでいるのかくらいはわかる社会であって欲しい。戦後のわが国は自由と個人主義が行過ぎて、子供にも1人ずつ個室や携帯電話を与えたり、かえってギスギスした閉鎖社会を作ってしまった。大いに反省すべきではないか。
私がこんなことをいうと、それは政治が悪いからだと言う人が必ずいるだろう。日本人皆が自由主義や個人主義を履き違えていることに気づくべきだ。
個人情報保護法というのもやっかいな代物だ。かつて、わたしは、自分の山林を管理してもらっている森林組合で「私の山の隣地の所有者を教えてください」というと「個人情報保護法の関係で教えられません」と言われたことがある。法律のために人間社会があるのではない。人間社会を円滑に機能させるために法律があるのだ。
そういえば最近できた国会の議員会館は大層りっぱな建物だそうだが、秘書の方の話しによるといちいちセキュリティーチェックをしないとお隣の議員の部屋に行き来できないそうだ。私たちの頃の建物は、議員も秘書も自由に行き来できたからお隣どうしで「ちょっとお菓子ちょうだい、お客さんが大勢来たから。」とか「お湯ください」などと秘書も仲良く下町長屋みたいだった。確かに変な人が入らないようにはできるだろうが、議員会館の個室が全くの密室になっていいのだろうか。
田舎ではいまでも留守なのに玄関に鍵のかかっていない家が多い。「あそこの嫁さんはようしゃべる人や」「隣の叔父さん昨日足を骨折しやはったみたいやで」とか他愛もないはなしがいつも聞こえる社会というのは良いものだ。インターホンでしかものが言えないマンションとはずいぶん違う。もう少しおおらかな日本に戻したいものだ。
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7月18日から20日まで三日間開催したNPO法人きみかげの森のサロン「木屋庄」こけら落としは連日盛況のうちに終わった。なにしろ初めての世界に飛び込む私の再出発の行事だけに心配していたが、ボランテェアで30人ほどのひとたちが気持ちよく支えてくれた。昨晩お手伝いいただいた人達と打ち上げの飲み会をやったが今まで知らなかった新しい出会いもあるし実に楽しかった。それぞれ会費を出し合って、損得で集まっているわけではないし、みんな達成感を共有している、一体感があるし気楽でいい。
三日間お越しいただいた皆様に電話をすると、総じて好評、「楽しかった、また呼んでね」と言う人が多かった。「森岡さんのスッピンを見た、スッピンをみせることはいいことです。」と言う声、「荒井さんの歌とトークが良かった。」「岩本さんの森のお話がとても興味深く良かった。」など・・・・・政治の世界では味わえないほのぼのとした気分になった。絹谷幸二さんが「森岡さん、引退を決めて正解だよ。自分の原点であるふるさとに戻ることはとてもいいことだ。ぼくも奈良町の実家をどうしようと思っているところなんだ。」と言ってくれたのは嬉しかった。
この一週間ほどずっと都祁で泊まっていたが、昨晩久しぶりに奈良のマンションに帰って寝たらクーラー無しでは休めない。空気も都祁はいいなあと実感する。この猛暑から逃避するには都祁が一番。
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