日本の良さにほころびが見えている

国会中継を聴いていると、厚生労働省を巡る統計不正事件で根本大臣が野党の集中砲火を浴びている。私には統計について詳しくないし専門的なことは何もわからないが、昔厚生労働省の大臣政務官という仕事をやらせていただいたときから思っていたことがある。というのは、この役所が抱える仕事の多さである。国民一人ひとりの「生老病死」に関わる情報や仕組みが全部この役所に委ねられている。しかも、政府全体の30%を超える年間予算を抱えていて、国民生活に一番直結している役所でもある。

労働問題もこの役所の所管である。私は、厚生労働省に入省したばかりの御嬢さんの親から「娘はまだ入ったばかりなのに毎晩1時2時の深夜に帰ってくる。あまりにもひどいではありませんか。もう少し早く帰れるようにしてください。」と言われた。役所の幹部に聞くと、議員から国会質問の要旨が届くのが夕方、それから大臣などの答弁書を作るので毎晩遅くなってタクシーで帰ってもらっているとのことであった。私は「労働行政を担っている役所ですよ。それがこんなに残業が多いのはおかしいじゃないか。」といったものの質問書を出してくる議員も悪い。特に野党議員は遅く出してくるからそれから残業して答弁書を作る役人がかわいそうだ。

このように、厚生労働省はあまりにも仕事の範囲が多すぎるから、行政機構の見直しが必要だ。

そして、今回千葉県野田市で起きた10歳4年生の女の子が虐待によって親に殺された事件、これも厚生労働省が関係する。なぜ、この子を救えなかったか、自治体が悪い、児童相談所の対応が悪いというだけでいいのか?根本的には、戦後日本の家族の絆や地域住民の連帯が弱ってきたことが遠因だと思っている。ステップファミリーと呼ばれる義父義母に育てられる子供が多くなっていることも問題だ。親が居ても家に帰れない養護施設から学校に通っている子供たちもたくさんいる。全体の殺人事件は減ってきているのに親族同士の殺人が増えている。かつての日本の良さ、家族、地域の人間関係の濃さが崩れつつある。戦前の家の制度を一挙に壊したアメリカの占領政策も影響しているだろう。

平成から新しい時代に変わろうとしているとき、視点を変えて国のあり方を見直してゆかねばならないのではないか。