山本周五郎原作のお芝居「赤ひげ」を観て

京都南座で劇団前進座の「赤ひげ」(山本周五郎原作 赤ひげ診療譚より)を観た。江戸時代、幕府直属の医療機関小石川養生所で貧しい人たちを病気から救うために働く医長「赤ひげ」を中心に現代にも通じる社会の問題点をあぶりだしている。

特に貧困と無知のために苦しんでいる人たちと政治権力とのはざまで葛藤する「赤ひげ」先生の口から出る言葉に胸が痛くなる思いで聞いた。

「人生は教訓に満ちている。しかし万人にあてはまる教訓は一つもない。殺すな、盗むなという原則でさえ絶対でないのだ」

「見た目の結果よりも、徒労とみられることを重ねてゆく過程に人間の希望が実るのではないか」

「貧富や境遇の良し悪しは、人間の本質に関係はない。不自由なく育ち、充分に学問しながら、賤民にも劣るひとがいたし、貧しい上に耐えがたい悪い環境に育ち文字を読むことさえできないのに人間として頭の下がる立派な人に幾人も会ったことがある」

「源氏であれ平家であれ、人間がいったん権力を握れば、必ずその権力を護るために法が布かれ政治が行われる。いついかなる時代でもだ」

「あらゆる病気に対して治療法などない。長い年月やっていればいるほど医術が情けないものだと感じる。まずやらねばならないことは貧困と無知に対する闘いで医術の不足を補うほかはない。それは政治の問題だというだろう。だが、かつて政治が貧困や無知に対してなにかしたことがあるか。貧困だけに限っても江戸幕府このかた人間を貧困のままにしておいてはならないという法令が一度でも示された例があるか」

小泉政権以来、規制緩和が進み、貧富の格差が大きくなっている。他方、財政再建が喫緊の課題でもあり増税とともに、福祉医療負担の軽減を図ろうとしている今日である。「赤ひげ」に衝撃を受けた。

今日は成人の日、ラジオを聞いていると「この20年日本はカネさえあれば何でもできる世の中にしてしまった」「また、アスファルトの下に土があることを知らない若者を生んでいる」という言葉。考えさせられる一日であった。