タイムスリップ・・・太安萬侶卿との出会い

 7月1日、 今年も今日から後半のスタート、充実した一日で得がたい経験をさせてもらった。来年は「古事記」誕生から数えてちょうど 1300年に当たり、その編纂に当たられた太安萬侶卿のお墓が奈良市此瀬町の茶畑で発見されたのが32年前である。お墓は国の史跡に指定されこの地域の名所になっているが、養老7年(723年)に亡くなられて火葬されたその骨が地域の菩提寺である十輪寺に預けられていることを最近知ることとなった。それというのも、卿より数えて51代目という子孫(奈良県田原本町にある)多神社の宮司さんがご先祖の骨を譲り受けたいと申し入れておられることを聞いたからだ。たまたま私が双方の関係者を存じ上げていることから、仲を取り持ち円満に合意、本日分骨の儀式となり、立ち合わせていただくことになったのである。十輪寺のご住職が恭しく骨壷を開かれ、たくさんな焼骨を見たとき「これが1300年前古事記を編纂された歴史上の大人物である太安萬侶卿の骨だ」と思うと涙が湧いてくるような感動がこみ上げてきた。ご住職は手袋をはめた手で実に丁寧に一つ一つ骨を取り出し多神社の宮司さんが用意されたりっぱな木箱に移された。ご住職が送り出す骨箱にお経をあげられるとまたまた厳粛な気持ちになった。これから双方仏式と神式二ヶ所で末永く祭られ供養されることになる。これぞ日本文化だ。2011-07-01 09-16-35_00012011-07-01 09-30-45_0002

 あの大震災で被災した仙台に住む友人が山形のさくらんぼを届けてくれた。不自由な思いをしていたろうに僕にまで気を遣ってくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。早速お礼の電話を入れると、「せっかく世界中から全国からいっぱい義捐金が寄せられているというのにほんとうに困ってる人に配られてない、まだ2割か2割5分くらいしか渡ってないんだよ。事情によって優劣つけるのは後にしてとりあえず一律に全員にいくらかづつ早く配ってあげたらいいと主張してるんだ」と言っていた。自治体も手が足りないようだが、困っている被災者のことを思うと、せっかくの多くの善意が届いていないことに苛立ちを覚える。