會津八一さんと奈良

 朝6時に起きて家内と共に奈良公園を1時間ウオーキング、そのときいつも興福寺本坊の前の會津八一の歌碑を見ながら通りすぎる。「はるきぬといまかもろひとゆきかへり ほとけのにはにはなさくらしも」暗唱して歩く。また、先日法華寺へ行くと本堂の右に「ふぢはらのおほききさきをうつしみに あひみるごとくあかきくちびる」という歌碑が立っていた。やはり作者は秋卅道人、會津八一である。

 會津八一は、奈良の古社寺を何度も歩きながら短歌で紹介した偉大な人だということくらいは知っていたが、もっとこの人を深く知りたいと思って県立美術館の會津八一展を見に行った。新潟出身の人で奈良の魅力に惹かれ35回も奈良を訪れたという。彼の揮毫も素晴らしい味がある。奈良で活躍した上司海雲師、入江泰吉、小川晴暘、杉本健吉氏ら文化芸術分野のそうそうたる人達とお付き合いのあった様子がよくわかった。奈良県内にある彼の歌碑に刻まれた17箇所の歌を全部覚える競争しようかと家内は言うがとても覚える自信がない。私が一番好きな歌は「おほてらのまろきはしらのつきかげを つちにふみつつものをこそおもへ」 唐招提寺の金堂の円柱が月光を受けて地上に影を落としている。その影を踏みながら懐古の思いに浸る。実にロマンチックでいい。光景が目の前に浮かんでくるではないか。いま彼が生きていたら会ってもっともっと深く知りたい人だ。

 奈良には世界に誇るべきものがいっぱいある。奈良県人はこういう環境のなかであまりありがたさを知らずに過ごしているが、外から奈良を見た人は感激してくれる。先日「千房」社長の中井政嗣氏が講演の中で「大金持ちになるコツは貧乏人の家に生まれることや。そしたら物のありがたさや辛抱することがようわかる。」とおっしゃった。例えは違うかもしれんが、奈良は恵まれすぎてて県民が宝物を充分活かしていないのだと思う。遷都1300年行事でそのことがようやくわかり始めてきたのかな。

 今日は日本列島に雨風が吹き荒れた天候、明後日の奈良マラソン晴れて欲しいなあ。