悲願の奈良マラソン2010がやっと実現

奈良マラソンきゅうちゃん 快晴、最高温度15度、絶好のマラソン日和に恵まれた。ついにやった!足掛け3年、紆余曲折あっての「奈良マラソン2010」の開催だ。公認コースの1万人フルマラソンは我が奈良陸上競技協会の悲願でもあったし私個人としても奈良で皆が注目してくれるような大会を持ちたいと思っていた。道路事情が悪い奈良県で1万人のフルマラソンなんて無理だと冷ややかに見る人も多かったし真っ向から反対する人もいた。奈良県という自治体が中心になってやるのかわれわれのような民間組織が主体的にやるのかについても曲折あったが結局奈良県・奈良市・天理市と遷都1300年協会、奈良陸上競技協会、奈良新聞社などが中心になって実行委員会を立ち上げ、知事が実行委員長になることで落ち着いた。マラソンコースを決める警察との折衝も難航を極め1年半くらいの時間を要した。警察は、道路を遮断するとなれば緊急車両などを通す代替道路を確保できるコースしか認められないという立場だから、われわれの、世界遺産の近くで高低差のない走りやすいコースをという主張との妥協点を見つけるのが難しかった。今日は先導車両に乗せてもらって全コースの状況がよくわかったが、1万人が走る光景はこんなものだということを肌で実感した。大仏マラソンの参加者を加えると1万9千人の人が走りボランティアが4千人余、競技役員やスッタフ4百人など、そして警察、消防、自衛隊、医師・看護師などを含めるとこれらの人を持ち場持ち場で効率よく動いてもらうため事務局の皆が苦労してくれた。ランナーは気持ちよく走れたと思うが、事務局にはいろいろなトラブルの電話があったようだ。「71歳の男性ランナーが心肺停止状態で病院に運び込まれた」「2歳の子供が迷子になってお母さんが見つからない」「道路の通行を早く解除しろ」などなど、スタッフが力を合わせてテキパキ処理してくれた。心肺停止のランナーも助かったようだし迷子のお母さんも見つかった。

 招待選手の高橋尚子ことキューちゃんには感心した。何キロか一緒に走って競技場に戻るとあと少しでゴールという人達を励ましながら行ったり来たりハイタッチをなんどもなんども2時間以上繰り返していた。ランナーにとっても、また私たちのようにその姿を見ている者にとっても感動を与えてくれた。さすがキューちゃんだ。奈良陸上競技協会の会長として心からお礼を言っておいた。

 まだ先の見えない状態の頃ご苦労の最中、亡くなった奈良陸協山田前理事長も今日のマラソンを天界から見て喜んでくれているだろうと思う。彼にも役員席で活躍してもらいたかった。今年の経験を生かして奈良マラソン来年もまた今年以上の大会が開けるようがんばりたいものだ。