荒れた山林と100円野菜から考える

  先日「元興寺禅室の屋根裏探検」に参加させてもらった。元興寺は西暦588年蘇我馬子が発願し、日本最初の寺院として建立された法興寺(飛鳥寺)を起源とし、平城京遷都と共に奈良市内に移転している。ヘルメット姿で屋根裏に上がり、今日まで幾度となく修理の手が加えられた様子を知ることが出来たが、最も感激したのは飛鳥時代創建のとき(西暦590年と見られる)の部材が今も1400年以上も経っているのにしっかりと役目を果たしているのをこの目で確認できたことであった。7世紀、8世紀の部材も健在であったが、改めて国産木材の持つ力に驚かされた。

 戦後日本の住宅にはほとんど外国産材が使われ、見栄えはいいけれど「安かろう悪かろう」の家が量産されてきた。建売住宅の耐用年数は平均24年だと言われている。しかも、サラリーマンは自分の家を持つために働き、ローンに追いかけられる生活を送ってきたともいえる。たった24年のサイクルで産業廃棄物となってしまう家のためにアクセク働いてきたのかと思うとあまりにも惨めではないか。200年住宅とは言わない、せめて100年は大丈夫と言える住宅に住めるようにすることが、国全体の大きな利益につながる。

 日本の山林は手入れされることなく荒れ放題だ。我が家の山林も間伐や枝打ちなどを怠ってきたせいで荒れ恥ずかしい状態だ。伐期を迎えている国産材がいっぱいあるのに安い外材に頼ってきたため日本国中手入れをしない山がほとんどという。

 朝の散歩に出くわす朝市で家内はいつも野菜を買っている。農家の方は朝早く起きてほうれん草・小松菜や水菜などを畑で収穫し洗って形の整ったものを揃え一束毎くくって7時に店先に並べている。これだけ手をかけて売っているのに新鮮な菜っ葉が一束たったの100円である。一流ホテルでコーヒーいっぱい飲むと800円前後ではないか。戦後の日本の歩みを見ると、いま食糧自給率が4割だと騒いでいるけれど、商業や工業に比べて林業や農業をあまりにもおろそかに扱ってきたそのツケが今日のひずみにつながっているように思う。林業に希望なく農業だけで食える人も少ない。日本の人口は漸減しつつあるが、世界の人口はまだまだ爆発的に増え続けている。カネをいくらだしても食糧が確保できなくなる日が遠からずやってくる。わが国の課題は多いけれど林業や農業が息を吹き返せるよう政治も行政も国民の意識も劇的に変えなければなるまい。農家に現金をばら撒くような政策で農業は変わらないことにも早く気がついて欲しい。連日熊に襲われたニュースが流れているが、これも山が手入れされていないためだ。私もご先祖に申し訳ないのでせめて自分の周りの山だけでも早く整備するつもりである。