解散風に思う

 ある会で故奥野誠亮先生の思い出を語って欲しいといわれ、改めて奥野先生が残された著書を読んだり20年秘書としてお仕えした自分の過去を振り返っている。
 官界と政界で戦前戦中戦後を生き抜き、絶えず日本国の将来を考えていた氏の人物の大きさを感じる。憲法をはじめ国家の基本に関わる問題をライフワークとしながらも、役人時代に培った実務にも長け中心になって作られた法律や仕組みも多い。
 戦後70年以上を経過した今日、自民党の党是である「自主憲法の制定」のメドも立っていないが、奥野先生は終始「東京裁判史観からの脱却と自主憲法の制定」を訴え続けた。特に、アメリカの占領下にあり実際内務省の役人としてGHQとの交渉に当たったときの経験があるからこその悔しい想いは、何度も何度も聞かされた。
3度の閣僚経験の中で、野党の罷免要求を受けなかったことは無かったが、最後まで自説を貫かれた。文部大臣のとき社会党の議員から憲法について訊かれ「たとえ同じものであっても作り直すことが望ましい」と答えられたのが、確か昭和49年のことだった。あれから半世紀近く経って今日憲法についての議論はかなり変わってきたとはいえ、安倍総理の主張や自主憲法制定を受けいれられる環境が整ってきたとはいいがたい。
 度重なる北朝鮮のミサイル発射に抗議をするだけで何も出来ない。戦力を持てない憲法をいただいているからこそ北朝鮮や中国からも舐められている。拉致被害者の家族が年老いていることを考えるといてもたってもいられない感情にかられるが何もできない日本、戦争は二度としてはならないが、自国を守る気概と備えは持てるようにならないと独立国とはいえない。いつまでもアメリカ頼みでよいのか、奥野先生の声が聞こえてくる。
 衆議院の解散風が吹いてきたけれど、解散の大義はなにか?
不倫問題やくだらない議員の不祥事ばかりが報じられる昨今、真に国を憂うしっかりした政治家に出てきてもらいたいと思う。