不寛容社会

昨晩、NHKのスペシャル番組で不寛容社会を取り上げていた。

「今の日本社会は他人の過ちや欠点を許さない“不寛容な社会だ” と答えた人が半数近くに上り、“寛容な社会だ”という声を上回った。白か黒か-。何か につけて対立構造が浮かび上がり、主張が先鋭化する現代社会、同時にスマホを使ったラインのやり取りで瞬時に情報が流れ傷ついたり傷つけたりする住みづらい社会になっている、それがイジメ、虐待、自殺などにもつながっている」というような内容だった。

今日、奈良いのちの電話「子育て支援委員会」の会議に出たら、チャイルドラインから見える子供の状況は、貧困、虐待、体罰などの暴力、家庭のあり方の変化(離婚、一人親家庭やステップファミリーの増加)、子供の権利侵害などの報告があった。子供は「わかってほしい」と悲鳴をあげ、「コミュニケーション」を求めているという。また、諸外国に比べ日本の子供たちは自己肯定感が低い、その背景には親子の接する時間が少なく愛情が届いていない、多様性が認められにくい社会のなかで、差別や孤立化が進んでいるという話もあった。

奈良県内の小中高生5000人のアンケートで、死んだら生き返ると答えた小学生が2割、高校生でも5%いた。死にたいと思ったことがあるに「当てはまる」と答えた人が40%、うち「とても当てはまる」と答えた人が15%もいたというショッキングな報告を受けた。

人間は孤独が一番怖いという。核家族や一人暮らしの家庭が多い。昔の3世代4世代同居の時代は貧しくてもみんなで助け合って生きてこれたし、子供が親を殺したり、親が子供を殺すようなことはなかったし、子育ても介護も助け合ってやってこれた。老老介護や介護疲れの殺人事件など聞いたことも無かった。気の毒な家庭があれば地域の人たちで助け合ったものだ。

日本人が持っていた寛容な心や助け合う気持ちはどこへ行ったのだろう。なんでもスマホやゲームに頼り、生の人間同士のコミュニケーションが欠けていることが殺伐とした社会にしているのではないか。もう一度お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住める社会が欲しい。