国防意識について

参議院選挙も終盤戦に入ってきた。4年前まで3年間政権の座にあった民主党に期待を裏切られ失望したにもかかわらず、しかも、こともあろうに党名を変えて共産党とまで一緒に戦っている政治家や応援している人たちを見ていると、日本はほんとに平和ボケしているなあと思う。この日本という素晴らしい国を守っていこうという気概が感じられない。

確か昭和51年だったと記憶している。奥野誠亮先生に随伴して初めて台湾を訪れたとき、まだ戒厳令下で大陸の中国と戦っていた。軍の輸送機に載せてもらって敵のレーダーに捕捉されないよう海面すれすれの飛行で金門島を訪ねた。大陸の福建省とは2~3キロしか離れていない。双眼鏡で覗くと敵の大砲がこちらに向かって据えられているのが見えた。地下に作られた大きなホールはいざというとき野戦病院に代わるという。地上では農夫が牛をひいてのどかな風景なのに地下壕では兵舎が建ち並び大型トラックがガンガン走っている。大陸に向かって大きなスピーカーで怒鳴っているし、台湾の生活物資を入れた気球をいっぱい飛ばしている。日本に向かうタンカーも台湾の軍隊が守っていますという話を聞いて、日本人の国防意識とのギャップが余りにも大きすぎて恥ずかしくなった。同時に私の国防意識にスイッチが入ったのもこのときだ。

今でこそ災害派遣などで自衛隊に対する国民の見方はずいぶん良くなっているけれど、当時は、自衛隊は違憲の存在として、まるで私生児(こんな表現は差別になるならお許しください)扱いだった。「自らを省みず」国家を守るために働くことがいかに崇高で大切なことか、平和ボケの日本人にわかってほしい。

国の防衛費を「人殺し予算だ」というような政治家がいること自体恥ずかしい。

ダッカで犠牲になった7名の人たちも軍人ではないが、日の丸を背負って戦ってくれた戦士だ。それぞれ高い志をもって働いていた人たちだろう。心からの哀悼の気持ちを捧げるとともに、日本だけは別世界だと思っていてはだめだとつくづく思う。