Archive for 4月, 2010

花を愛でる余裕

4月 23rd, 2010

 明日から始まる平城遷都1300年祭平城宮跡会場会場の目玉である 第1次大極殿完成記念式典が皇太子ご臨席のもと開催され、私も出席した。9年の歳月、ざっと200億円かけて作られた壮麗な建物で、前の計画段階から奥野誠亮先生が関わってこられた大プロジェクトだっただけに秘書としてその過程を見てきた私にとっても感慨深いものがあった。祝宴の席で遷都1300年事業協会理事長の荒井知事から奥野誠亮先生に感謝状が渡された。今年7月で御歳満97歳となる奥野先生にとってこの感謝状はさぞかし嬉しいものであったろう。大極殿の工事が始まった頃「なんでそんなものにカネかけるんや」となじった人達もいた。しかし、いま完成した大極殿の姿をみると、1300年の昔われわれの先輩がどのような気持ちで奈良に都を置いたのか、また、平城京が隋や唐の影響を受けて作られた本格的な都であったことを想像しながら日本国民として素直に誇りに思う。

 ところが、今日の記念式典で壇上に座り挨拶していた二人の副大臣は、毎年文化庁が出した大極殿の建設予算にも反対してきた(当時野党であった)人達だけに私は複雑な思いであった。式典会場にはなつかしい政治家や役所の現役、OBも東京から駆けつけておられ、「政権交代によりすっかり役所も変わりました。役人が萎縮してしまって力をふるえない。これは日本国全体の国力からみると大きな損失です。」という話もあり、残念至極である。

 舛添新党誕生のニュースにマスコミは総じて冷ややか、あれやこれやとばらばらに新党が出来ると結局民主党を有利にするだけではないのかという人もいる。自民党も柱や梁が少しずつ抜けていってどうなるのか「しっかりせんかい」と言いたくなる、民主党は普天間問題に結論を出せないでどうするのか、政治資金問題で、鳩山は結局秘書に罪をかぶせて自分は責任をとらない、小沢もほうかむりをして逃げ切るのか、断じてそんなことを許してはならない。

 俗世間は心配なことばかりだが、今朝も家内と奈良公園を歩きながら楚々とした美しさを漂わせるハナミズキをみてこころ洗われる気持ちになった。今年は、桜・桃・菜の花・もくれん・水仙・沈丁花・チューリップなどいっぱい花を楽しむことが出来る。何十年と花を愛でる余裕すらなく走り抜けてきた、人生はこころの豊かさを感じてこそ幸せだといえるのに、この歳になって自分を振り返り恥ずかしく思う。

歴史認識と国益

4月 19th, 2010

NHKスペシャル日本と朝鮮半島第1回「韓国併合への道」伊藤博文暗殺と安重根・日韓は歴史認識を埋められるのか、をみて思った。

 かつて私は衆議院文部科学委員会で当時文科大臣であった大島理森氏に質問した。「ハルピン駅頭で伊藤博文公を暗殺した安重根は韓国では英雄、韓国の切手にもなっている。ところが日本では伊藤博文という人は憲政の功労者として国会議事堂の正面玄関に立像があるえらい人、この人を殺した安重根は日本からみれば憎いテロリストである。にもかかわらず、日本の子供たちに教える歴史教科書は安重根を写真いりで英雄扱いしている、日本の教育行政を預かるトップの文科大臣としてこれでよいと思っているのか。」という主旨を実際の教科書を示しながら迫ったのである。大島大臣がどう答えられたかは覚えていないが(議事録をみればわかることではある)私がしつこく食い下がったもので「このへんで勘弁してください」と言われたのだけは覚えている。韓国の反発を恐れたのでしょう。私が言いたかったのは、「歴史認識は国によって皆違うものだ。韓国で子供たちにどう教えようととやかく言うことではないが、安重根という朝鮮のテロリストによって日本の重要人物が殺されたということを日本では正しく教えるべきだ。」ということだ。NHKの解説者も日韓の歴史認識を同じになるよう努力すべきだという気持ちを述べていたが、現実の歴史や政治を踏まえるとそれは無理なはなしだ。

 そもそも2千年の歴史を荒っぽく振り返ると、地政学的にみて朝鮮半島はロシアの南下政策や中国の介入、それを許すと危ないとする日本らに翻弄されながら今日に至っている。また百年前の李王朝は誠にみじめな状態でありいまから思えば日本統治時代があったればこそ発展を遂げることができた側面もある。植民地政策を正当化するつもりはないし行きすぎたこともあったかもしれないけれど、朝鮮半島の人達には申し訳ないが、日本が入っていなければロシアの属領になっていたであろう。日本も朝鮮半島がロシアに押さえられてしまったら防衛上非常に危険なことになっていたでしょう。それぞれの国がそのときそのとき国益を考えながら自分の国を守るため必死の努力をしているのであって、国益がぶつかり合うのが外交である。

 朝刊の見出しに、米「普天間を継続使用」鳩山政権に失望し判断という文字が踊っていた。今の日本の指導者は国益というものをどう考えているのか?鳩山総理は確か米スタンフォード大学で学ばれたのではなかったか、米国の力や日本に対する見かたなど私ら以上にわかっているはずなのに・・・・・・あらゆる面で日本の綻びが心配だ。

 私は日本の子供たちに先輩がこの国を守るために苦労された姿を教えると同時に、日本人として誇りを持てるような教育をしてほしいといつも願っている。

  平城遷都1300年記念「奈良マラソン2010」の第2回実行委員会が開催された。小生は県の陸上競技協会会長という立場、2年以上前から何度も協議を重ねてきた課題なので「やっとここまできたか」という思いである。奈良県知事を実行委員長とする体制が整い今年12月5日、日本陸連公認のコースを1万人が走るフルマラソンがいよいよ実現するのだ。今年は遷都祭の最後を飾るビッグイベントとしてこれまで奈良新聞社が主催してきた春日・大仏マラソンと同日開催となる。荒井知事や事務局をはじめ皆さんのご協力で警察とのむずかしいコース決定もクリアすることができた。5月からランナーの募集が始まるし、ゲストランナーとしてシドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんも参加してくれる。

 先日、近畿陸上競技協会の役員会で今年は奈良だが来年は大阪、そして京都も予定しているという話で盛り上がっていた。今日の実行委員会で「皆さんのご協力で是非成功させ、今年度だけの行事に終わらせることなく毎年実施できるようお願いします」と発言しておいた。これだけなんでも右肩下がりの世の中だがマラソン人口だけは毎年右肩上がり、それだけに奈良マラソンを全国の人達が注目する冬の風物詩にしたいものだ。

 昨日、大阪の文楽劇場で吉田蓑助文化功労者顕彰記念「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」をみた。大化の改新、蘇我入鹿、藤原鎌足、大神神社、飛火野、猿沢池、吉野川、妹山、背山など奈良の地名や歴史上の人物が次々と出てくる。平城遷都1300年にふさわしい出し物である。遷都祭もこれから本番、観光客も増えているようだしようやく奈良が活気づきつつある。

 なのにニュースで奈良県の39自治体の平均財政力が他府県に比べて最下位だと報じていた。「奈良はあかんなあ」とため息ばかりつくのではなく県民皆がぬるま湯から目覚め知恵をしぼりアグレッシブに生きることをこころがけたいものだ。

 政治の舞台から退いたものの与謝野さん平沼さんの動きを見ているとドキドキしてくる。民主党にも失望、自民党もデメという今の空気からすると国民が第3の勢力でしっかりした政党を求めていることは間違いない。昨年8月の選挙で政権交代が実現し、民主党でなければ政治家ではないというほどの勢いだったのが、いまや民主党も自民党も支持率は18%台、どの政党も支持しないという人達が49%もいるとは・・・・・誰が予測できたでしょう?鳩山内閣も30%の支持率、全く期待はずれだ。普天間問題をはじめ大事なことをなにも決められない。今日のテレビで石原都知事が言っていた憲法改正と消費税引き上げを口にできないようでは民主党も自民党もダメだ。 石原さんは今の政治のダメなところを的確に突いている。与謝野さん平沼さんの新党構想の後ろ盾になっているようだから息子の伸晃氏はどうするのか?この新党がどこまで広がりを見せるのか来週の動きが楽しみだ。与謝野・平沼両氏とも尊敬できる方々でお付き合いをいただいてきただけに私があと10歳若ければついてゆきたいのに・・・・・と正直思う。

 でも、これからは若い人達が頑張ってくれなきゃこの国は潰れてしまうと心配する。桜が満開の今日の日曜日、荒井敦子さんが主催しておられるNPO法人「音楽の森」の自然学校に参加した。お餅つきのあと、たけのこご飯・ぜんまい・つくし・カンゾウ・せりなどの食事をいただき、小原のしだれ桜見学、屋外でおうすのお茶を一服、ホールでコンサートというイベントで60~70人位の人達を地元室生の人がボランティアでお世話しておられる姿に感激、田舎には都会では味わえない温かさが残っているのを実感した。わたしの立ち上げたNPO法人も見習って都祁の人達の力を借りて地域に活力をいれてゆきたい。

 戦後の日本になくなりつつある家族の絆・地域の連帯・国を思う心にハドメをかけなければこの国が壊れてゆく。与謝野・平沼新党がこの国の将来に光を与えてくれればいいのだがと期待する。わたしは外野席から応援してゆきたい。

大遣唐使展

4月 3rd, 2010

 先日、奈良大学の寺崎教授から「長屋王と遣唐使」というテーマで講演を聴く機会がありいたく感動した。平城遷都1300年にふさわしいお話であっただけではなく当時の歴史をおさらいする意味でずいぶん勉強になった。聖武天皇の後継者を決めるのに藤原氏から疎まれて「謀反の疑いあり」と濡れ衣を着せられた人くらいしか長屋王についての知識がなかったが、恵まれた血筋に加えいまの総理大臣のような立場で国際感覚もあり教養人としても一級の人物であったと教えていただき、邸宅跡(いまのイトーヨーカドーの場所)から3,5万枚の木管が発見されその解読により当時の活躍ぶりを垣間見ることができると言われた。また、遣隋使・遣唐使が果たした役割、大陸から持ち帰った数々の文化・文物、交流の歴史、鑑真和上のような日本に渡って大きな足跡を残した人達など多くの知識を得ることができた。

 寺崎教授の講演の印象がまだ強く残っている昨日、奈良国立博物館で「大遣唐使展」の内覧会があった。これまた凄いインパクトのある展示品がいっぱいあり感激した。そのうえ、今日はNHKテレビで「大仏開眼」の前編があり唐から帰った吉備真備や玄ぼうらが国内の政争に巻き込まれていくようすがよくわかった。下級官吏の子として生まれた真備は、遣唐使に参加したことで立身出世を遂げた人物の代表格、阿倍内親王[聖武・光明の娘、皇太子、のちの孝謙・称徳天皇]に儒学・歴史などを教え、最終的に右大臣にまで上りつめたという。

「大遣唐使展」の資料には、阿倍仲麻呂と藤原清河が日本に帰りたいのに帰れなかった様子や鑑真和上の偉大なる功績、唐から持ち帰った仏教経典など興味をそそられるものが盛りだくさんであった。

 752年に出発した第12次遣唐使が長安に着いて翌年元旦の朝賀の儀式に新羅との間に席次争いがあったというのも興味深い。新羅が東の第1位の座を占め、大食国(アッバース朝イスラム帝国?)の上位におかれたのに対し、日本は西側で吐蕃(チベット)に次ぐ第2位を与えられた。日本の副代表は新羅が日本の朝貢国であることを理由に猛然と抗議し、その主張が認められて順位が改められたそうだ。当時からわれわれの先輩は国際社会での地位を保つため苦労をしてくれていたことがよくわかる。

 わたしは奈良国立博物館の回し者ではないが、平城遷都1300年の意義をかみ締めるためにも是非奈良の「大遣唐使展」を見てほしいとおもう。