Archive for 3月, 2010

生前葬の勧め

3月 21st, 2010

 最近読んだ本の中に「葬式は、要らない」(島田裕巳著)があり、私の葬式や仏教に対する考え方がずいぶん変わった。白洲二郎の「葬式不要、戒名不要」は有名な話であるが、「日本の葬式にかける費用が世界の中でずば抜けて高く、平均で231万円。戒名は日本仏教に独自の制度で、釈迦の教えにもとづいておらず、また仏典に根拠が示されているわけではない。死後の勲章として院殿号などりっぱな戒名を付けることが葬式の費用を高くし結局坊さんを儲けさせていることにつながっている。日本の仏教が葬式仏教と呼ばれる所以である。」などと書かれている。イギリスで教育を受けた合理主義的な白洲二郎の行動が理解できる。だけど日本のお寺が檀家制度によって維持され、それぞれの家の先祖供養が根付いているのも確かである。家単位でりっぱな墓をつくり3回忌・7回忌・13回忌などと続き、50回忌・100回忌の法要を営んだりしている。最近、核家族化や少子化によって檀家制度が揺らいで来ているといわれているが、確かに、高いおかねを払って戒名を付けてもらったり、墓地を買ったりすることにどれほどの意味があるのか、おかねの高い安いの問題ではないと思う。

 先月訪れたブータン仏教は日本の仏教とずいぶん違ってた。ブータンでは人が亡くなると葬式は火葬、そして骨は川に流す。墓はない。亡くなって1年間は旗を立てて死を悼むが、何回忌などという儀式はない。人は死んだらまた別の動物に生まれ変わって活動しているのだから何年も法要する必要はないというのだ。また、ブータンの僧侶は社会的に地位も高く僧院で俗界とはかけ離れた生活をしており、もちろん妻帯は許されない、ブータンでは仏教が一般の人々の生活に深く溶け込み精神的な支えや教育的な役割を果たしている。反対に日本では仏教というと死後の世界のためにあるようだ。南都仏教は別として、素人がえらそうなことをいうなと檀家寺のお坊さんから叱られそうだが、宗教とは本来人間がどう生きるべきかを説いていくのが役割であって死後のことばかりいうのは間違っているのではないか?

 わたしは、突発的な事故などで死なない限り、隠居の身になる頃(本人はまだまだ先のことと思ってます)、親しい人やお世話になった人に来てもらってにぎやかで明るい「生前葬」をやりたいと思う。感謝の言葉も言いたいし生きてるうちにみんなの声を聞いて死ぬほうがいい。死んでからお悔やみ言ってもらっても本人わからなかったらつまらない。そして、ほんとに死んだときは家族葬で十分、戒名も要らない。

卒業式の風景

3月 17th, 2010

 先日奈良大学付属高校の卒業式と幼稚園の卒園式に、そして今日は母校である市立三笠中学校62回目の卒業証書授与式に今年も出席した。私立の場合は制服に身を包み整然としているが、公立の場合制服がないから自己主張とはこういうことかと思いながら見ていたのだが、卒業生の服装や身なりが結構おもしろかった。ジャージー姿、羽織袴、部活の柔道着・剣道着、真っ赤な上下スーツ、白のブレザー、セーターなど300人もいるとほんとにいろいろだ。女の子もミニスカート、ホットパンツもいればなぎなたをやっているのかなと思える袴姿もいた。そして、髪型やブローチなども一生懸命自己主張している感じ。元気良くハイと答える人もおればどちらかというと男の子のほうが伏し目がちに歩き元気がないように見えた。だけど、最後の在校生送辞と卒業生答辞は感動的、自然に拍手したくなるような光景でハンカチで涙を拭っている保護者も多かった。また、校長先生の式辞も良かった。『感謝』『奈良』『夢』の三つをはなむけの言葉とされ、ご自身も今年で定年退職されることもあってか涙声で話されたのには聞くほうも胸がいっぱいになった。保護者の席を見ると平日なのに父親が多いように思った。もっぱらお父さんはビデオや写真の撮り役みたいでお母さんから「しっかり写しとくのよ」と言われているのかな。

 僕が中学校を卒業したときはどうだったろうとか、自分の息子や娘の中学生時代を思い出して「こんなにしっかりしてなかったなあ」と思ったり感慨深かった。帰るとき校長先生が「今年は国歌斉唱ちゃんと出来ました。私の懸案だったんです。」と僕におっしゃった。昨年の卒業式の式次第に「国歌演奏」と書いていたのを指摘し「文部科学省の指導に反する」と苦言を呈していたからであった。おそらく、教員の中に教組の連中がいて校長先生は国旗・国歌の問題で苦労されていたのだろう。なんでもないことがなかなか出来ない国になっている。実際僕の隣で立っていた共産党の市議会議員は国歌斉唱のとき無言であった。

 今日の朝刊は、外務省の「密約」問題に関する有識者委員会の報告書がいずれもトップニュース、昭和35年の日米安保条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外とする了解の有無について、明文化されていない「暗黙の合意」による「広義の密約」があったと結論付け、それを受けた今の民主党政権は鬼の首を取ったように「外交に国民の信頼と理解を取り戻す」[岡田外相]とかっこよく振舞っている。

 わたしは、今回の報告書を出したこと自体、日本の安全保障政策上マイナスになりこそすれプラスになることはなにもないのではと思う。佐藤政権以来の非核三原則は百も承知であるが、アメリカと同盟条約を結び核の傘を借りている以上は「持ち込ませず」をあいまいな形にしておいたほうが日本の国益に資するのではないか。「自民党政権の密約を暴くことだけが目的であった」とすると、今の政権は日本を取り巻く東アジアの厳しい安全保障環境にあまりにも無神経だといわざるを得ない。わたしは以前から非核3原則は建前であってほんとうは2原則ですよと言い続けてきた。「持ち込ませず」を公言することは、日米の離間を願っている中国や北朝鮮を喜ばせるだけであって日本にとっては大きなマイナスとなろう。私のような考え方に反対する人は日本をどのように守ろうとしているのか是非聞いてみたい。

 2月20日から28日までブータンを訪ねた。長い間お付き合いをいただいている友人(政治部記者から大学教授をまもなく終える)が、わたしにお互いの卒業旅行だと言って(慰めるつもりで)誘ってくれただけに喜んでいくことにしたものだ。「奥さんも誘ったら」といってくれたので家内と家内の友人も加わってミックスダブルス4人の旅行となった。団体旅行ではなく個人旅行だったし、あまり知られていないミステリアスな国なので、はじめは不安と期待半分づつという感じであった。

 バンコク経由インドのバグドブラからブータンの海抜2400メートルのパロ空港に降り立った。27歳の青年ガイドと35歳のドライバーが一週間西ブータンの主なところを怪しげな英語と日本語を駆使しながら一生懸命案内してくれた。「Gross National Happiness is more important than Gross National Product」が国王の国造りの方針であり、国民の97%までわたしは幸せだと答える国とはどういう国だろうかと思いながら、首都のティンプー、ウォンディーブタン、プナカ、パロなどの町を廻った。

 酔い止めの薬を飲んで悪い舗装のガタガタ道を走ると、途中3150メートルの峠からかすかに雪に覆われたヒマラヤ連山が見えた。どこへいっても寺院であり行政機関でもあるゾンというりっぱな建物があり、国民生活が宗教と共にある、そしてその上に国王がいる感じであった。農業国ではあるがほとんど山岳地帯でやせた段々畑が続いているところが多かった。西岡という日本人の先輩がジャイカの職員としてブータンの農業の近代化に生涯を捧げられた話も聞いたが、資源らしきものもないし貧乏な国だ。しかし、汚い格好をした子供もお化粧を全くしていない娘さんたちもみな目が輝き、人なつっこい、後進国特有の金品をねだったり乞食のような人がいないから不思議だ。りっぱな建物に住んでいる人と汚いトタン張りの掘っ立て小屋に住んでいる人では随分貧富の格差が大きいように思ったが、2007年に初めて実施された国政選挙では47人の国会議員のなかで45人までが与党、与党の代表を国王が首相に任命する非常に安定した政治状況だという。わたしの印象では、「明治時代の日本に携帯電話とテレビが入ってきている状態かな、でも義務教育制度がなく学校へ行けない人が3割もいることをみてもやがてこの国の国民が民主主義に目覚めたときは恐いなあ。もしかして、GNPよりGNHをという国王の方針はやせ我慢?それとも貧しさをカモフラージュするための政治的意図があるのか?」などと思ったりした。

 そして、この国は地政学的に中国とインドの両大国にはさまれていることから安全保障はインドに頼りインド軍を駐留させているそうだ。国境のヒマラヤ山脈をインド軍が護ってくれているというが、中国に侵食されているという話もあった。

 食べ物は、いつもポテト・やきそばのような麺・とうがらしの入った辛い味付けの肉類・人参や豆類の煮付け・それに赤米のパサパサごはんが定番、ヤクのバター茶がよくでてきた。どうも魚はほとんど食べることがないらしい。人が亡くなると火葬にして骨を川に流すことと関係があるようだった。同じ仏教でも日本の場合はりっぱなお墓をつくり何回忌法要をするのが当たり前だが、ブータンにお墓はないし亡くなった人を偲ぶような行事は殆んどないという。

 今回のブータン訪問の目的の一つが一年に一度の大きなお祭りを見ることだった。紀元後8世紀チベット仏教を伝えたグル・リンポチェというブータン人が国王の次に崇めているお坊さんを再び呼び寄せて拝む大切な行事であるそうな。お面をつけたり、カラフルな衣装で実に見ごたえのある踊りを披露してくれる。大勢の人達が男性は「ゴ」女性は「キラ」という民族衣装に身を包み家族でお弁当を広げながらみている。日本の学校の昔の運動会を思い出した。

 パロのタクツアン僧院への山登りも圧巻であった。2400メートルのところから3060メートルまで登るのであるが、なにしろ高度が高度だけに苦しかったし登ったときの達成感は格別であった。

 ホテルで夜トイレにいって水を流そうとすると、(3000メートル近い高いところなので)水の元栓を切ってあるとか、風呂に入ろうとしてもお湯が少ししか出なくてブルブル震えながら体を洗ったりと、笑うに笑えないようなこともあったが、楽しかったし、なによりブータン人は人を疑うことを知らないのかと思うくらい純粋なのに感動した。 しかし、テレビもほとんど見ない、オリンピック情報も入らない、携帯電話も日本につながりにくい、そんな生活から日本に帰り、あったかい湯船に浸かって炊き立てのご飯にお漬物を食べたらやっぱり日本はいいなと思った。とはいえ、テレビをつけたら相変わらず政治とカネの話、ブータンの人が日本で生活したらなんというだろう?