Archive for 12月, 2009

 今年もあと1日で終わろうとしている。振り返ると私にとっては総選挙で運命が決まると思っていただけにその結果は残念の一語に尽きる。でも「くたばってたまるか」という強いエネルギーがまた湧き出してきて「人生はやっぱり二毛作だ」と思う。後半の人生が新年からスタートすると思えばいっぱい希望が頭をもたげてくる。政治の世界で働いていた過去の自分と今の空しい現状を比較して「オレはなんと非生産的なところで働いてきたのだろう」と思う。これからは努力すれば常に前進できるような仕事がしたい。

 それにしても今の民主党政権はひどい。鳩山といい汚?沢といいあのような犯罪行為を犯しながら、野党の自民党も行動を起こさないし民主党の中からも批判らしい批判がチットモ聞こえてこないのはどうしたことか。自民党の松岡代議士は浄水器の問題で自殺にまで追い込まれたというのに、民主党の両氏はバレなかったら脱税もわからない、出所不明のカネで土地を買っても頬かむりですむのか?しかも金額がバカでかい。

 安全保障や外交政策も心配だ。普天間問題にしてもこれ以上アメリカを怒らせてどうする。三党連立と日本の防衛どちらが大事なのか、鳩山の優柔不断な姿勢に中国はほくそ笑んでいるだろう。自民党も代議士が全員毎日街頭に立って国民にこの危機を訴えるくらいのことをしたらどうなんだ。ほんとにふがいない。

 経済も心配だ。依然としてデフレ円高の状態は続いているし政府は日本経済の将来像を描ききれていない。子供手当て・農家の所得保障などで財政はますます深刻になるというのに消費税の議論すらしない。いのちを大事にする予算を組んだといっているが、生活保護を受けてる人のなかには、所得や生活実態をごまかし民主党や社民党の地方議員に口を利いてもらっている人もかなりいるようだ。ほんとに困っている人に差し上げるのはいいが、デタラメな受給者もいる。しかも今の政権は組合に気を使って給与の官民格差には熱心でない。政権にとって都合の悪いムダにはめを瞑っている。

 負け犬の遠吠えだと笑われそうだが、ほんとに日本が危なくなってきた。こんな状態で新年を迎えて明日の日本に希望があるのか。

  政界からの引退表明と平行して新たなNPO法人を立ち上げんと準備を進めてきたところ、昨日ようやく県庁で受け付けてもらった。二ヶ月の縦覧期間を経てなんとか今年度中に認可をいただけたらと期待している。その名も特定非営利活動法人「きみかげの森」、ご先祖が残してくれた森林を活用して子供たちや障害を持つ人達のために役立てられないか、政治の世界にいるときもずっと温め続けていたテーマである。

 きみかげの由来は、都祁の花であり国の天然記念物である「すずらん」の別名「君影草」からいただいた。葉っぱの影に隠れて控えめに咲いていることから君影草と付けられたそうな。奥ゆかしく可憐で美しい宝石のようだといわれている。「きみかげの森」も、地味ながら地域や県民の皆様からいい仕事をやってるなと思っていただける存在になりたいものだ。木登り・炭焼き体験・しいたけ栽培・木工体験など子供たちが自然に触れ環境教育に生かす森にしたい、いっぺんには行かないでしょうが夢を膨らませて少しは社会のためになるよう努力してゆきたい。田舎の人達にもご協力いただいて、すぐ隣に出来つつある都祁の合併記念公園とともに市民県民の癒しの場にしてゆこうと思う。

 

 鳩山総理の政治資金をめぐる問題の記者会見をテレビを見てイヤになった。毎月母親から1500万円ももらっていながら「全く知らなかった、会計処理は秘書に任せておりどういう処理をしていたのかもわたしは知らなかった」という。贈与税を払うからということで済まされる問題ではない。日本中で一番権力を行使できる立場の人がこんなことでは、アホらしくてわれわれ一般の国民は税金を納める気持ちになれない。責任を秘書にかぶせてまだこれからも総理を務めようとしているようだが、彼は自分がどういう立場におかれているかを理解していない。

 かつて加藤紘一元自民党幹事長がやはり政治資金の問題で辞任要求にさらされていたとき、私は予算委員会で自民党を代表して質問に立ち、それを受けて加藤氏が議員を辞職されたという経験を持っている。まだ一年生議員であったけれど20年の秘書生活が基盤にあったから「秘書としてボスにこんな大事な問題を報告していない訳がない」といって詰め寄った。野党席から「野党質問のようだ」と言ってさかんにヤジが飛んだことを思い出す。鳩山総理も母親から毎月1500万円ももらいながら秘書から報告を受けていない訳がない。もしほんとうに知らなかったとしたら、鳩山という政治家は秘書を使う能力もないしそんな人に日本の舵取りを担ってもらいたくない。私は自民党だからいうのではない、いまこそ国民が怒らないと日本が危ないと思う。92兆円もの国家予算を組んでいるが誰も税金を納めたくない。

 浅沼誠夫氏[株式会社淺沼組会長]が亡くなられた。これまでの私の人生における大恩人の1人であっただけに淋しく悲しい。

振り返れば、わたしは大学を出て株式会社淺沼組という総合建設業の会社に就職した。時の社長浅沼猪之吉氏と私の祖父森岡義信と郡山中学と同期であったご縁から浅沼さんにお世話になったものである。しかし、当時総合建設業は相当いろんな面で遅れていることに気がつき推されて組合活動に入っていった。僕たちの交渉相手のトップはその頃常務であった浅沼誠夫氏、私も若かったから正義感丸出しでこの常務を相手に同族会社の欠点など随分辛らつなことを言ったり組合のチラシに書いたりした。でも、浅沼氏は誠心誠意会社の現状と自分の思いを述べ、この若造を無視するようなことはなさらなかった。むしろ、会社を良くする為に協力してくれという姿勢だった。また仕事の面でも営業担当の私のやることによく理解を示しご指導をいただいた。多くの社員に慕われている経営者であった。

 奥野誠亮先生の秘書として政治の世界に入るときも決断の決め手になったのはこの方の一言だった。「いやになったら帰ってこい。いつでも君の席は空けておくから」、家内も私が会社を辞めて見知らぬ世界に入っていくことの不安で東京行きに反対していただけに救われた。昭和48年1月のことである。それから36年経った。ずーっとこの間も私を大事にしてくださったし奥野誠亮先生にも私淑しておられた。

 昨日、同期入社の田島君とともに生駒のご自宅を訪ね、お別れしてきた。実に安らかなお顔をしておられた。ご遺体のそばで奥様からいろいろなお話を聞いていると、昔のことやご生前の元気なときのお姿が次々と蘇ってきた。こころから感謝の気持ちを込めて合掌した。浅沼会長のご逝去は私にとっても一つの時代が終わったという感じがする大きな出来事である。

引退表明

12月 15th, 2009

 本日の新聞に「森岡氏政界引退」の報道があり、あちこちから「淋しいなあ」「もったいないなあ、これで終わるのは」「後援会の解散はどうするの?」「これから何するの?」というメール・電話などが次々と入ってきた。わたしは8月の選挙以来今後の生き方を模索してきたが年内にケジメを付けるべきだと思っていたので一昨日の自民党奈良県連の役員総会の席上事実上の引退表明をやらせていただいた。総選挙で連続二回の惨敗、66歳と言う年齢などから考えてこれ以上やると、再生を目指す自民党の足を引っ張ることになると思っている。また私生活の上でも残りの人生を妻へのいたわりや田舎の山の管理などに費やし家を守っていかねばという思いと、政治家でなくとも社会のためにお役に立たせていただくことはいくらでもあると考え決断したものである。後援会の皆様はじめこんな出来の悪い政治家を長い間お支えいただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいだ。志を途中でへし折られた無念さはあるが、これも自分の力不足ゆえである。淋しいけれど致し方ない。思い返せば、奥野誠亮先生にお仕えして以来政治の世界を36年間も内側から見てきた。この間日本も随分変わったものだ。政治家を目指す若い諸君に私が教えられるものがあれば伝えてゆきたいと思う。寒い2月の早朝西大寺の北口でマイクを握っていたときかじかんだ手に温かい缶コーヒーをそっともたせてくれたご婦人に涙をこらえることができなかったことなどが蘇ってくる。