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	<title>森岡正宏　公式サイト &#187; 世相を斬る</title>
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	<description>前衆議院議員　森岡正宏公式サイト＋ブログ</description>
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		<title>更生保護活動に立ちはだかる家庭崩壊</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 03:17:04 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[世相を斬る]]></category>

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わたしは更生保護、すなわち犯罪を犯した人たちをもう一度社会でしっかりと生きていけるように立ち直らせるお手伝いをする「保護司」というしごとをボランティアで務めています。７～８月はその強調月間、全国レベルで「社会を明るくする運動」を展開し、奈良でも市内をパレードしたり、コンサートを開催したりと一般市民にも更生保護活動へのご理解やご協力をいただくべくキャンペーンを行っております。


　保護司の日常的な活動は保護の対象となっている人と月に１～２回面接をし社会復帰させるための助言や指導を行ない保護観察官という方に報告することであります。わたしはこれまで何人もの人たちと接してまいりましたが、人を導くなどという仕事はとてもできないなと挫折感を味わったり、限界を感じたりもしました。また、社会の縮図をみているようで勉強にもなります。守秘義務がありますので個々のケースを詳しくのべることはできませんが、いままで担当した人はほとんど１７～１８の少年であります。万引き、傷害、麻薬などの犯罪を犯した人であります。いまも万引きで捕まった１８歳の少年Ａ君を担当しています。彼らに共通しているのは、家庭崩壊、とくに両親の不和か離婚であります。保護司という仕事を通して家庭崩壊と向き合うむずかしさを実感しています。つい先日大和郡山市で起こった父親殺しも、父と母の離婚が少年のこころに大きな傷を落としたことが遠因となっているようであります。いまわたしが担当しているＡ君も小学生のとき両親が離婚、そのうえ彼は幼児期に母親から虐待を受けて育ったようです。母親と二人きりの生活ですが会話もない乾いた砂漠でいきているように見えます。はじめ彼は保護司であるわたしと会うことも拒否、会ってもほとんど口をきいてくれませんでした。こちらから何かいうと無気力な声で「ハイ」と答えるだけでした。母親の姿勢を改めさせないとと母にもなんどかお会いしました。この母も小さいとき母から虐待を受けて育ち、なぜか子供に手をかけるようになったといいます。最近言いにくいことをお互いメールでやり取りするようになってきたようです。Ａ君はわたしにも少しずついろいろなことを話してくれるようになってきました。年上の彼女がいること、派遣社員として少し収入がはいるようになったこと、パチンコやスロットで小遣い稼ぎをしていることなどです。わたしはもう少し安定した職につけるように努力しろとかお母さんと話し合いなさいなどと言っております。最近、他の人からＡ君が「保護司のオッサンな、堅い人やけどメッチャ優しいね。」と言ってるということが聞こえてきました。彼はこれまでほとんど愛に飢えた人生を歩んできたのだと思います。愛されたことがない人間ほど不幸なことはありません。Ａ君の場合人間不信にもつながっていたように思います。わたしは彼が母親との絆を少しずつかたいものにして欲しいと思うと同時に社会人として生きてゆけることをこころから願い自分の息子のような気持ちで接しています。誕生日にはおめでとうとレタックスを届けました。だんだんと彼のこころが氷がとけるようにジワッとひらかれてくるのがわかります。
わたしは５年ほど前、衆議院法務委員会の理事をしておりまして「犯罪を犯した人の再犯率が職のある無しによって５倍の開きがある、犯罪を犯した人がもう一度人生のやり直しができるチャンスを与えるために仕事につけるようにすることが大事だ。」と知りました。翌年厚生労働省の役職を与えられたので、まだ刑務所に入っているが仮釈放まじかの人に職業斡旋ができるようなしくみを作りました。法務省と厚生労働省と役所が違いますから縦割りの弊害でこれまでこんな協力は考えられないことでした。しかしこういう努力をしていても日本経済が下降線をたどり雇用問題が深刻になっていることから一度犯罪を犯した人を雇ってやろうという企業が少なくなってきているのが現状です。
犯罪を犯した人も生まれたときからの悪人ではありません。幼児期における環境によってすなわち親の生き方によって子供は左右されるのです。まさに本会で学ぶ「子供の善導は親の倫理実践から」であります。一度犯した過ちからもう一度立ち上がれるようなぬくもりのある社会環境をととのえてあげることも大事だと思います。それが犯罪のない明るい社会つくり運動の目的でありましょう。
先日、奈良市内のある中学校へ伺ったとき、先生から「片親だけの家庭が多くなりました。生徒のなかに正月元旦の朝８時頃コンビニでパン買って食べてる子見ました。普通ならお雑煮をみんなで祝う時間でしょう。涙こぼれてきました。この子の家は母子家庭で母がスナックで働き子供ほったらかしですわ。」という話を聞かされました。愛に飢えてる子供が大勢いることを忘れてはならないと思います。
保護司をやらせていただいて一番思うこと、それは「夫婦の離婚の理由には、いろいろあるでしょうから離婚した人をすべて悪く言う気持ちはありませんが、できることなら子供のことを考えて思いとどまって欲しい、そして少なくとも子供の前では夫婦仲良く振舞うこと、特に子供が小さい間は親が仲たがいをしていることがどれほど子供のこころを傷つけているかを自覚して欲しい。」であります。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　平成２０年７月７日　記
 
 
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		<title>世相を斬る　2008年6月14日</title>
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		<pubDate>Sat, 21 Jun 2008 10:59:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[世相を斬る]]></category>
		<category><![CDATA[家庭内殺人]]></category>
		<category><![CDATA[無差別殺傷事件]]></category>

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		<description><![CDATA[　親の子殺し・子の親殺しなど最近の家庭内の凶悪事件の続発には目を覆いたくなります。昨年一年間に検挙された殺人事件（未遂も含む）１０５２件のうち家族・親族間の事件が５０３件で約半分を占めているということ皆様ご存知でしょうか？家庭内殺人事件の頻発は戦後日本社会の異常性を象徴しています。
　また一方で、不安や不満、孤独感が渦巻き「誰でも良かった。」という通り魔事件や無差別殺傷事件が多発しています。これも異常事態であります。
　もう一つ、少し古い統計数字でありますが、東京都内の高校３年女子のセックスの経験、平成１４年４５．６％、１２年前（平成２年１７．１％）の約２．７倍、同様に中学３年女子の初交経験９．１％で１２年前（平成２年３．４％）と比べてこれも約２．７倍。また平成１２年の数字でありますが、全国の未婚女性の性交経験率（毎日新聞社の調査でありますが）２０歳から２４歳まで５４．３％、２５歳から２９歳まで６７．３％という数字がでています。この性道徳の乱れ、家庭観の破壊をかねてより心配していますが、わたしのような考え方は古くてもう通用しないのでしょうか。
　どうしてこのような社会になったのか私なりに考えてみました。四点指摘させていただき、ご批判を仰ぎたいと思います。

　その一は、戦後の誤った教育であります。教育基本法の前文に「個人の尊厳を重んじ」とあり、また条文の中にも「個人の価値を尊び」と言う言葉が入っています。一昨年６０年目にしてようやく改正され「公共の精神を尊び」という言葉も入りました。戦前の教育勅語では「これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここに存す」と、国体の尊厳がうたわれたり「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と公が強調されても個という字はどこにも見当たりません。日本を「二度と立ち上がってアメリカに歯向かえない」国にしてやろうという占領軍は、平和憲法と教育基本法をつくり公から個への転換こそ日本を弱体化させる鍵とみたのであります。慧眼というべきか、今の日本はその狙いどおりとなりました。個と公どちらも重要であることはいうまでもないことですが、戦前は公が幅をきかせていたのが、戦後は公が忘れられ個が勢いを増し個人主義どころか利己主義がのさばるようになりました。親と子、先生と生徒が対等となったことから公立学校から教壇はほとんどなくなり宿題をしていかなくとも罰を与えられないし親や教師に敬語を用いないどころか暴言を吐き暴力をふるう生徒を抑えることもできない状況が生まれています。子供中心主義や子供へのおもねり、厳しく育てることを怠ってきたことへの反省が私たち大人にもないように思います。「個の尊重」は「自由・平等・人権」などと一緒になって広く社会で猛威をふるっています。「わがまま」「したい放題」という言葉がピッタリの世の中になっています。そして、個の対極にある公すなわち国家・社会・家庭は個人を抑圧するものとして否定されてきたのであります。私も二人の子供の親でありますが、失敗作品を作ったように思います。「結婚を考えたらどうだ。」というと「わたしの人生なんだからお父さんもお母さんもかまわないでよ。」と言われてしまいます。私の子供だけでなく、親に感謝の気持ちを持てない子、地域や国に愛着や愛情を持てない、または無関心な人が多くなっています。
　二つ目は、戦後６０年の間、経済至上主義がはびこりすぎたように思います。廃墟の中から立ち上がって一生懸命働いてくださった先輩のおかげで今日の経済発展をとげることができた、これはその通りでありますが余りにも金銭万能主義、カネ・カネ・カネと金儲け主義がすぎたように思います。子供たちにも善悪の価値観より損得の価値観を優先させるような教育をやってきた、そのことが援助交際や偽装事件の伏線になっているのではないでしょうか。
　三つ目は、ＩＴ化であります。携帯電話やパソコンが犯罪と結びついている事件が実に多くなっており、子供の非行に手を貸している一面があることは誰しも認めるところでありましょう。子供に携帯電話を持たせるべきか否か、またフィルタリングなどの規制をかけるべきか否かが政府でも議論されていますが、携帯電話やパソコンから入る情報、電話やメールのやりとりによって子供も大人も犯罪に引き込まれやすくなっています。先日ごく普通の中学生の女の子に「一日に携帯電話どれくらい使う？」と聞きましたら、１時間から多い日は三時間という答えが返ってきてビックリしました。友達と会って話しをするのではなく、ショートメールのやりとりでコミュニケーションをはかっている子供が多い訳です。また出会い系サイトなどにアクセスして見ず知らずの異性と付き合い性犯罪などに引き込まれるケースも多発しています。先日テレビを見ていますと、子供にケータイを持たせるなとかフィルタリングをかけるとか国家が関与する問題ではないと発言していた元閣僚がいました。わたしはこれだけ大きな問題になっている訳ですから国が方向性を示すべきだと考えます。国家権力で押さえつけようと言うのではありません。わたくしも何度か政治家として言論界やマスコミのひとたちと議論してまいりましたが、すぐ憲法で保障されている「知る権利」とか「表現の自由」を盾に、有害な情報を規制することに反対され平行線でした。しかし、フィンランドの憲法には「表現の自由」を保障しながらも「子供たちに悪い影響を与える情報を規制するために法律を作ることができる。」という但し書きがあるということ、これなど日本も見習うべきだと考えます。
　もう一点、雇用不安を原因の一つにあげたいと思います。あの秋葉原の通り魔事件の犯人は派遣労働者で、派遣先から突然「もう来なくていいよ。」と言われ自暴自棄に陥ったそうです。小泉改革以来労働者の派遣を大幅に緩和した結果、日本の雇用環境はすっかりアメリカ型になってしまいました。被正規雇用者が３分の１を占め年収２百万円以下の労働者が１千万人を超える現実は、特に若者を夢や希望から遠ざけており日本の活力をそいでしまう結果になっているのです。小泉改革とは一体なんだったのか、改革と言う言葉に踊らされるのではなくその功罪をしっかりと検証し対策をたてるべきだと存じます。
（平成２０年６月１４日　記）
 
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