最近、殺人事件報道が多すぎるように思う。ことに女性や子供を巻き込んだ事件が毎日のように起こっている。性犯罪も多い。また子供が親を殺す、親が子供を殺す、夫が妻を殺す、妻が夫を殺す事件も特に珍しいとは思わなくなったことが恐ろしい。簡単に近親者を殺すなんてかつての日本では考えられないことだった。
どうしてこんな日本になったのか。親を大切にする、両親に感謝する、お年寄りを敬う、ご先祖に感謝するという道徳観がすたれてきたからなのか。 個人主義が行過ぎて利己主義な人が多くなったからなのか。
また、警察の検挙率も落ちているのではないか、昔に比べて警察の力が低下しているのか。交通事故による死亡者が6千人を切ったというのに自殺者が毎年3万人を下らないのも気になることだ。ストレスの多い砂漠のような乾いた日本社会、やっぱり病んでいるんだな。「モノで栄えてココロで滅ぶ」日本はむずかしい局面を迎えている。
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書道の関係者と懇談の機会を持ったときの話である。「最近書道をやる人がドンドン減りつつある。だから筆・墨・紙などの業界も年々売り上げが減ってきている。また紙などあまり買わなくなったのは、一つの作品を仕上げるのに以前は先生がよろしいとおっしゃるまで何十枚と書いてなかなか妥協しなかったが最近は数枚書いたら良しとする傾向があるのと書道を続ける経済的な余裕もなくなってきたからだ。やはり小中学校で書写書道をもっと教え裾野を広くすることだ。」という。
筆・墨の業者が多い奈良にとっても由々しきことである。そもそもいまの学校教育は国語をおろそかにしているように思う。PCやケータイの普及によって手で文字を書かなくなったことも問題だ。私たちも漢字など読めても書けない字が多い。国語の力をつけることが大事、それには書写書道の果たす役割が大きいことをもっともっと知ってもらわねばなるまい。
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「郵政民営化に反対した森岡さんにワシは惚れ直したわ。がんばってや。」と突然見知らぬ男性から声をかけられ励まされた。嬉しかった。最近小泉改革なるものに疑問を持つ人は多くなったのは事実だがこのようにはっきり言う人は少ないだけにほんとうに嬉しかった。
久しぶりに知り合いの店に昼食を食べに行った。一昨年ご主人が脳梗塞で倒れ奥さんが苦労しながらお店を切り盛りしておられるので激励するつもりでいったらなんと、カウンターの中にご主人が立ってるではないか!顔を合わせてお互いニッコリ、でも言葉がすぐに出てこないほどグッと熱いものがこみ上げてきた。お客さんが多い時間帯なので奥さんも忙しそうに動きながら「森岡さんご機嫌さん」と声をかけてくださった。「ご主人良かったですね。」というと「どうにかやっとここまで来ました。」と嬉しそうに。ご主人はまだリハビリ中だがどうにかコーヒーをたてられるようになったという。相手の話が半分くらいしか理解できないとおっしゃっていたが脳梗塞の後遺症としては軽いほうの様子。良かった、ほんとに良かった。わがことのように嬉しかった。
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本日第5回和の国活性講座「森岡正宏のお堅い話と女性落語家”露の都”さんのお笑い」を開催した。約300人の人たちが参加してくださった。僕は毎朝街頭でしゃべっているようなこと「中国の胡錦涛主席訪日の総括やほころびの見える社会保障制度(後期高齢者医療制度)、そして政局のゆくえなど」を少し噛み砕いて話した。露の都さんのお話がまた楽しくて好かった。食事中皆さんの感想を聞きがてら各テーブルを回ったら「きてよかった。」「楽しかった」「森岡さんがんばってや。」など割合好感度高く嬉しかった。
選挙の先行きがまだ見えてこない中で今日の催しが成功するようにと願っていただけにホッとする思いだった。平沼新党への期待感なども話していたからマスコミの人たちがどういう印象を持ったか気になるところだ、
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大学のボート部でお世話になった四方監督の傘寿を祝う集いがあり、瀬田川のほとりの料理屋に20人余り集まった。現役時代直接教わったものばかりでみんな60歳から65歳まで、ほとんどが昔の筋肉隆々の体形から程遠く太っちょで髪もバーコード、ツルツル、ゴマシオなど40年の歳月はじつに冷酷だと思った。しかし、みんな学生時代に戻って実に愉快だった。四方監督は風貌は昔とほとんど変わらず今も毎日のようにスイミングスクールで若い女性(60歳以上?)とともに千m以上泳いでおられる由、僕のボート生活で一番お世話になりご指導をいただいた人であっただけに父親に会ったようで嬉しかった。
僕が受験に失敗し失意の状態で同志社大学に入ってまず決めたことはとにかくスポーツに熱中して自信を持てる人間になるんだということだったからあこがれのボート部に誘われて期待に胸を膨らましていた。ところが、なかに入ったら当時の同志社ボートは弱い弱い、しかも石山や瀬田のいろんなお店に借金だらけで胸をはって歩けない状態だった。そこに四方先輩が監督として乗り込んでこられゼロから再出発となったのである。そのため僕は3年のとき選手を下ろされ主務として財政再建や優秀な高校生を全国からスカウトする仕事、そしてジュニアエイトの養成などをまかされた。4年になったらぼくが主将,30人ほどの部員の心をひとつにすることがむずかしくなんどもなんども四方監督を訪ねて教えを請うたものだ。おかげで僕達の同志社エイトクルーは京大を破って関西選手権で勝った。それから後輩が全日本選手権で3位,2位,優勝、優勝とがんばってくれメキシコオリンピック出場と同志社大学ボート部の黄金時代を築いてくれた。僕が現役のとき全日本選手権大会にでても毎年1回戦敗退、敗者復活戦も敗退というのが同志社クルーの成績だっただけに信じられない気持ちだった。「やればできる。」ぼくらの夢を実現させてくれた監督が四方先輩であった。僕も同志社でボートをやってほんとに良かったと思っている。キャプテンを経験したあの頃の苦労を思えば社会にでて経験したことなどちっとも苦しいとは思わない。四方さんにはほんとに感謝している。長生きして欲しい。
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