家内に誘われて県立橿原考古学研究所付属博物館へいった。埴輪の特別展と古代から奈良時代までの常設展をやっていた。いずれも奈良県内で出土したものばかりで構成されていたが、奈良の歴史がそのまま日本の歴史であることを実感した。ボランティアガイドが丁寧な説明をしてくれたのでじつにわかりやすく勉強になった。われわれの先祖は、この島国の恵まれた大自然のなかで大陸文化を取り入れながらも独自の素晴らしい文化を育んできた。改めて日本に生まれた喜びをかみ締めることができた。
ひるがえって、一昨日秋葉原で起きた通り魔事件はどういうことだ。「誰でも良かった」と言って無差別に人を刺し殺した犯人は、契約社員で職場を転々とし不安と孤独のなかで自暴自棄になっていたという。この男も携帯電話でメールのやり取りをしてバーチャルな世界にのめりこんでいたようだ。不安と孤独が渦巻く現代社会を古代の日本人がもしも見ることができたら何というだろう。
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久しぶりに室生にある我が家の山へいった。突然山守さんが亡くなり森林組合に管理を委託することになったので境界を確認するため職員の方二人と一緒に登った。雨上がりのためよくすべったが、約3,5時間境界杭を確認しながら歩いた。父が生前山の管理に力を注ぎ「いまは林業は良くないけれど近い将来必ず国産材が見直される時代がやってくる。」と言っていたのを思い出す。山は空気がきれい、緑がきれい、水もおいしい、ほんとにいいものだ。職員のうちの一人は大阪の人であるが数年前から山が好きで森林組合に勤め室生寺のそばに移り住んでいるという。こんな人もいるんだ。彼の行動をみていると、ほんとうに山を愛してる感じだ。僕のこどもの時代になれば林業はどうなっているかわからないが、父親が言っていた言葉を信じてぼくも精一杯山の管理をしっかりやらねばとココロに誓った。
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西大寺駅北口で夕方演説していたら、いつもと違った出来事が二件あった。一つは若くて(30歳代?)かわいらしい女性から「応援してます。がんばってください。」といって小さな花束をプレゼントされたことだ。街頭で花束をいただくなんて初めてのこと、嬉しくて嬉しくて、知らない人でもこうして応援してくれる人がいるんだと思うだけで舞い上がってしまった。
もう一つは、これも女性(50歳代?)で私がしゃべり終えたとたん「あんたの話はワンパターンね。それじゃ感動を与えないね。」ときた。ドキッとしたが、「ワンパターンというのは具体的にいうとどういうことでしょうか?」と問いかえした。「通りいっぺんの話ではなく自分の考えをもっとはっきり言いなさいということよ。それにあれもこれもといろいろなことをしゃべろうとし過ぎよ。これだと共産党と変わらないじゃないの。」とピシャリ。「ハイ、どのように話せばいいかもう一度よく考えます。」と神妙に答えた。二言三言やりとりをして立ち去ろうとされるので握手を求めようと右手を差し出したらその手のひらをピシャリと叩かれた。「厳しいなあ。」と思わずつぶやくと「わたしは厳しいのよ。」と捨て台詞を残して彼女は去っていった。
帰って花瓶に花を挿しながらも、お叱りを受けた彼女の言葉が重くのしかかりもう少ししゃべり方や内容を考え直さなきゃと反省!
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福田内閣の支持率が20%を切り指導力の欠如が指摘されているが、このたび公務員制度改革が少し前進したことは率直に評価したい。首相の号令がなかったら実現しなかったと思うし民主党案を丸飲みしてでも修正して一歩を踏み出そうとしたことは良かった。なにしろ明治以来の官僚組織にメスを入れその弊害を取り除く足がかりができたことは大きい。
小学生などに携帯電話を持たせるべきか否かをめぐる問題でも、福田総理はいいことを言っている。さきほどテレビをみていたら竹中元大臣などが「こんなことを国が決めることか」とバカにしていたが国が方針を示さなかったら誰が決めるのか?野放しにしているからいろいろ問題が起こり犯罪につながったりしているのではないのか。どうしても子供に電話を持たせたいというなら電話機能だけの携帯にすればいい。
しかし僕は福田総理が国家の指導者としてふさわしい人だとは思えない。どのような国作りをしようとしているのか国家観もみえないし、強い指導力もない。
最近平沼新党がよく話題にのぼる。平沼赳夫先生の政治哲学とブレない政治姿勢に心引かれるものがある。
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昨日のニュースでヨン様が関空に到着、コテコテの化粧をしてドレスアップした三千人のオバチャンがキャーキャー騒ぎながら出迎えたと言う、わざわざ秋田からきたという人、前日の正午から並んでましたと言う人もいた。ヨン様登場のあのプラトニックラブにあこがれるのか、自分が若い頃体験できなかったことへの郷愁のようなものなのか、男では理解できないな、オバチャンパワーにほんとに驚いた。と同時にこんなことでいいのかという思いも持った。
いまの日本で一番元気のいい人たちは、子育てを終え時間的にも経済的にも余裕ができたこのオバチャン世代だ。絵画・書道展へ行ってもほとんどオバチャンパワーが圧倒している。お昼ホテルやチョット高級なレストランのなどで食事しておられるのもほとんどオバチャンである。僕等のような政治家を応援するために駆けつけてくれるのもオバチャンたちが多いし、もっとも頼りがいがある。そのかわりこの人たちを裏切ったり怒らせたりすると一番怖い。僕はこのオバチャンパワーをもっともっと社会でいい方向に活用できる道を考えるべきだと思う。子育てで悩んでいる若い母親にアドバイスしてあげるとか、後継者がいない農家の放棄地を利用して野菜作りをするとかそのパワーや経験を活用してもらえる場はいくらでもあるのではないか。オッチャンたちが元気がないからしっかりせよと言いたいところだが、これからますますオバチャンが強くなる社会になってゆくことは間違いなさそうだし活躍してもらいたい。
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