奥野誠亮先生ご逝去


11月16日夜10時前、いま東京から帰ったばかりのとき携帯に「先代の奥野先生がお亡くなりになりました」という一報が入った。耳を疑った。
何時間か前に衆議院議長公邸で前議員会長の綿貫民輔先生と「奥野先生は103歳にしてなおお元気だから凄いね」という話を交わしていたばかりだった。
翌17日、また新幹線で東京に向かった。車中「奥野誠亮氏死去、政界最長老103歳、法相など歴任、タカ派の論客、『盧溝橋事件は偶発的』などと発言」というテロップが流れていた。20年の長きにわたってお仕えした奥野先生とこの新幹線に乗って何度東京と奈良を往復したことだろうと昔のことがよみがえってきた。
思えば、奥野先生が田中内閣文部大臣のときから鈴木内閣法務大臣、竹下内閣国土庁長官など華々しい活躍をされた20年の間秘書としてお仕えした。私より30歳年上で歩く足が速くよく召し上がる、頭の回転が速くセッカチ、時間を無駄にしないで次から次へといろんな仕事をこなしてゆく人であった。また、座右の銘「信無くんば立たず」のとおり、人とのお付き合いを大事にされる人で毎日せっせとハガキを書かれた。ゴルフと麻雀が好きでゴルフにはよくお伴をさせていただいた。日本の将来を案じつつ終始自主憲法制定を唱え、アメリカの占領政策であった東京裁判史観からの脱却を訴え続けた政治家であった。そのため大臣在任中の発言を巡ってたびたび野党の攻撃にさらされ辞任に追い込まれたりしたが、発言を撤回することは一度もなかった。人は頑固だとかタカ派だというが、奥野発言はまさに正論であり、堂々としていた。
そして、郷土奈良を愛し、郷土のためにずいぶん尽力された。特に内務省の役人だったので県・市町村など自治体の皆さんから頼りにされた。一般の人はご存じないだろうが奈良県は奥野先生のおかげでずいぶん得をしている。陳情のお世話に携わっていた私は全部知っている。だからこそ一度も落選することなく13回も当選できたのだろう。
ただ長くお仕えしていただけで奥野先生から見ると頼りがいのない秘書であったと思うが、私の人生は奥野先生によって決められ、考え方もいつの間にやら「奥野色」に染まっていた。それなのに政治家としてご期待に応えられなかったことを申し訳なく思っているが、奥野先生の秘書であったことが誇りである。
久しぶりに神宮前のご自宅に伺って先生のご遺体に接し、お線香をあげさせていただいた。最近は食が細くなって体重45kgになっておられたと聞いたが、温和なお顔であった。
「長らくお世話になりありがとうございました」と合掌。
病院に入ることも無く自宅で静かに息をひきとられたという。死にざまも見事な生涯であった。