林業はどうなる?

昨日は都祁の寺山を、今日は室生の持ち山と二日続けて山を歩いた。
我が家は江戸の末期から明治にかけて「木屋庄」という屋号の材木商を営んでいた。子供の頃「木屋庄」と書いた馬の鞍などを見ながら、ご先祖に思いをはせていたものだ。祖父の炭焼きの手伝いをした思い出も残っている。
 亡父は晩年退職金をはたいて植林をし、「今はアカンけど国産材が見直されるときが必ず来る。お前の子供が伐れる頃かな?」と言いながら時間があると山に入っていたものだ。あれから、40~50年たった今も木材価格が低迷し山主もほとんど森林整備に意欲を持っていない。しかし、どの山も植林された木は確実に年輪を重ね大きくなっている。伐期に入っている木が多いのにもったいないことだ。
 父親の期待に添うような生き方をしなかった?私は、ご先祖から預かった山林のサイメンさえわからない誠に恥ずかしい状態である。最近いろんな山を歩いて、立派に育ちつつある杉や桧のほれぼれするような山もたまにあるが、間伐も枝打ちもしていない放置林が圧倒的に多い。森林環境税を使わせてもらっての無料の間伐にさえなかなか応じてもらえないほど森林整備に対する意欲が乏しくなっている山主が多い。日本の杉や桧は建築材として素晴らしい資源であるのにこれを使って建てるような家が少なくて、安い外材を使った家やマンションが多くなったことが日本材の低迷を招いている。良質の日本材を使って100年、200年と持つような家を建てるべきなのに30年経ったら産業廃棄物になるような家を建ててきたことが間違っていたのではないか?
 木材の供給だけではなく、水源の涵養、治山治水など山林が果たしている社会的役割は実に大きいし、世界の歴史を見ても山林を粗末に扱った国は砂漠化が進み、環境破壊や地球温暖化の元凶となっている。
 ブータンへ行ったとき、この国は国土の70%以上の森林面積を維持することが国是になっていると聞いた。水力発電を盛んにし電力をインドに売っているというから大したものだ。立派な政策だと思う。
 長らく政治の世界に身を置いて感じたが、議員のなかで「農」の応援者はたくさんいたけれど「林」の応援者は少なかった。民主主義というのは声の大きいほうが勝ってゆく。ベトコン議員は毎年米価を上げたけれど、木材価格は半世紀も低迷が続いている。