安全保障法制の議論に思う

国会の安全保障法制の議論が煮詰まってきているようだが、与野党の言い分を聞いているとイライラしてくることが多い。一つは、集団的自衛権の容認について野党は「自衛官のリスクが高まる」と言って与党を追及しているのに対し、与党は「リスクは高まらない。」と答えているのが理解できない。自衛隊の活動範囲が広がればリスクが高まるのは当然ではないのか、与党がそういう態度を取っていることが安保法制の議論を余計国民にわかりにくくしているのではないか。

自衛官の服務の宣誓には「・・・・・・事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とされている。警察官にも消防隊員にもこのような厳しい服務の宣誓はない。自らを犠牲にしてもこの国や国民を守るために働くんだということであり、自衛官は今もリスクを背負って働いている。もちろん政治家や役人も自衛官のリスクを極小化するために最大限の努力をしなければならないのは当然だし、自らの死を覚悟しながら活動している自衛官に国家は最大の敬意を払わねばならない。

私はいま「英霊にこたえる会」の奈良県の代表を仰せつかっている。国家のために命を捧げた英霊が祀られている靖国神社に陛下や総理が参拝しない国では、自衛官に「国家のために死を覚悟で働いてください」と言えるのか?

二つ目には、野党の連中や訳のわからない憲法学者は国家の存立をどう思っているのだろうか。野党はそれぞれ国家の利益よりも党利を優先させていることが見え見えだし、学者も国家は憲法のためにあるのではないということがわかっていない。

三つ目には、安倍内閣に対する支持率が不支持率を初めて下回ったと報じられているが、60年安保、PKO法成立など安全保障に関してはいつも世論は時の政権に厳しい目を向けてきたが、それを乗り越えて今日あることを忘れてはならない。「平和だ、平和だ」と叫んでいるだけではこの国を守れない。いい加減平和ボケから目を覚まさないと日本が危ない。