同じ人間がやったことだと思えない

ショパンのコンサートを聴いたところで
一日二回10秒間トイレを使うことを許された穴 人間の尊厳とは?
解放されたときの痩せた女性

7日間のポーランド旅行を終えて一昨日帰ってきた。きれいな街並み、ショパンやキュリー夫人を生んだ国という明るい面とは逆に過去の暗い部分も見たけれど、行って良かったと思う充実した旅であった。その一部を報告したい。

1990年ベルリンの壁が壊されて間もなく奥野誠亮先生のお伴をしてロシア、ポーランド、ドイツ、イギリスなどを回ったとき、ポーランドの首都ワルシャワで「この国にはもう一度来たい」という思いにかられそれが22年を経てようやく実現の運びとなったのだ。人類が犯した最大の罪というべきユダヤ人絶滅をはかった現場アウシュビッツを見てみたいという思いとドイツとソ連の強国に挟まれ独立を勝ち取るため苦労してきたこの国の歴史を知りたいという目的意識を持って訪ねた。

ポーランド第二の大きな都市クラコフからバスに揺られて1時間半、アウシュビッツ収容所は世界遺産に登録され毎年世界中から100万人もの人たちが訪れているとのことであった。1940年から45年の間に100万人を超えるユダヤ人、数万人のポーランド人、ジプシー、ソ連軍捕虜などを虐殺した施設である。日本語を話せる現地の通訳の話を聴きながらアウシュビッツ1号と2号及びビルケナウ収容所延200haの一部を35℃の炎天下建物の内外を2時間歩くのだが、人類史上最大の悲劇と言われる現場を目の当りにし吐き気がするほどの衝撃を受けた。

「入り口には『働けば楽になれる』と書いてあるが、貨物列車に乗せられて着いた途端、年寄、病人、子供などはシャワールームへと言われ裸にされ一度に5,000人もの人がガス室で毒ガスチクロンBを吸って死んでいった。その死体にガソリンをかけて焼いた。元気で働けるものは蚕棚のような三段ベッドに寝返りも打てないほどぎゅうぎゅうに詰め込んで寝かされた。食事は実にお粗末、最後1945年1月27日ソ連軍によって解放されたとき(以前70㎏の体重の人が)25㎏の骨だけの体になって生きていた。」

四人の男が立ったまま身動きがとれない狭い空間に放置され拷問を受けたところ、女性の髪の毛を全部刈り取って絨毯にしたといって7万トンもの髪の毛が積まれているところやガス室に送られた子供の靴が山になっているところも見せられ涙がでてきた。

同じ人間がどうしてこんな酷いことができるのだろう、そしてヒトラー率いるナチスだけが悪かったとしてドイツは国として非難されないで、従軍慰安婦だ南京大虐殺だと史実になかったことでいまだに中国や韓国から非難を浴び続けなければならない日本との違いはなんだろうと考えさせられた。私なりに思うのは、サンフランシスコ条約を受け入れ独立を回復した時点で憲法を変えるなどの転換をはかれなかったことが、日本の弱点であり近隣諸国から軽くみられる元となっている。

今日、奈良県隊友会の総会で自衛隊第三師団長 番匠幸一郎さんの講演を聴いたが、さすが日本の安全保障問題を非常に的確に見ている頼もしい人だと思ったし、講演内容が素晴らしかった。

ポーランド人は痛めつけられてきた国だけに国民の愛国心は物凄い。番匠さんの言う「日本はいま世界で最も安全保障上の課題の多いところにいるのに毎年防衛予算を切り込んでいていいのか」日本人皆が自分の問題として考えるべきときだ。