スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観て

 上陸する台風4号と競走するように新幹線で上京、家内とともに新橋演舞場へ、そしてスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観た。三代目市川猿之助が昭和61年はじめてこれを演じたときから私はこれで3回目の観劇になるが、毎回新たな感動をいただく。今回は特に、二代目猿翁、四代目市川猿之助(市川亀治郎)、九代目市川中車(香川照之)の襲名と五代目團子の初舞台をいうことで一層人気が高まっている。

 テレビや映画で活躍していた香川照之が歌舞伎役者に転じてどういう演技を見せてくれるのかという期待と古事記や日本書紀に出てくる日本武尊に興味を持ちこの舞台が我が大和であることからもう一度観ようと思ったのであった。

 第12代景行天皇の王子、ヤマトタケルが熊襲兄弟を討伐したり、天叢雲剣(あめのむらぐものつるぎ)を持って相模の国で草をなぎ倒し、迎え火で敵を焼き尽くす場面、走水(今の横須賀市)の海で嵐に遭い進退窮まり愛する弟橘媛が身代わりとなって入水するシーン、伊吹山でヒョウに打たれやがて病に冒され、「大和に帰りたい、大和に帰りたい」と叫びながらノボノ(今の三重県亀山市あたり)で死んでしまう場面。そして最後は白鳥になって大和の大空を舞うシーンはスーパー歌舞伎ならではの見せ場である。梅原猛先生の作品で先代の市川猿之助が歌舞伎に新たなジャンルを打ち立てた名作だ。朝廷の改革を願ったヤマトタケルがしつこく「大和の朝廷は腐っている、嘘で固まっている」などと言ったのが、劇とはいえ奈良県民としていささか気になったが、亀治郎の上手さや笑也の妖艶さなどあまりにも素晴らしかったので今も余韻に浸っているようだ。

 私が宣伝するのもおかしいが、古事記編纂1300年の今年、この「ヤマトタケル」をもっと奈良県民に観てほしいと思う、きっと奈良県に生まれて良かったと思ってもらえるに違いない。