タイムスリップ??十年

最初の秘書高田文子さんから花束を受ける奥野夫妻
最初の秘書高田文子さんから花束を受ける奥野夫妻

奥野誠亮先生が法務大臣の頃(昭和54~55年ごろ)私は法務省と議員会館を行ったり来たりしていた。あまりにも忙しいので当時「養徳学舎」という奈良県の学生寮にいた大学生4~5名に議員会館の仕事を手伝ってもらっていた。その中の一人大和高田市出身の水井時也さん(いま51歳)と当時秘書を務めていた古賀さん、石崎さん、平山さんらが中心になって「奥野誠亮先生の紀寿を祝う会」を企画、今日東京のシェラトン都ホテルに奥野誠亮先生ご夫妻を迎えることができた。私も楽しみにして出かけた。

東京の事務所でお仕えした者15名がご夫妻を囲んで旧交を温め、奥野ご夫妻のご多幸を寿ぐことができた。30年以上前学生だった人たちも今では大企業の幹部や中央官庁のエリート、全く風貌が変わっていて名乗られなかったらわからない人もいた。まるで浦島太郎が竜宮城へいってるようだと思ったけれど久しぶりに皆さんに会えた喜びでいっぱいだった。

想えば私は、昭和48年1月10日今は亡き吉川一郎御所市議に連れられて上京したのが奥野誠亮先生の秘書として働く第一歩であった。ごく普通の会社のサラリーマンが政治という世界に入り奥野先生の薫陶を受けていつの間にやら議員を経験したのだから、「貴方の人生は計画性がない。行き当たりばったり人生よ」と家内に言われているけど全くその通りだ。とはいえ、奥野先生からいただいたご指導や御恩はあふれるほどあり、今日あるのはそのおかげだと思っている。
一つの企業で一生終わっていたら、今日のように私なりに世界を見たり日本国の行く末を心配するような目を持つことはできなかっただろう。

奥野先生は私より30歳年上、間もなく満99歳の白寿を迎えられる。並外れた体力・智力・気力だ。これから毎年この会を開いてくださいと水井さんにお願いしておいたが、ほんとに涙が出るほど嬉しい会であった。シェラトン都ホテルの総支配人の南浦さんも養徳学舎の出身でこの会のために心憎いほどの演出とサービスをしていただきありがたかった。