生活保護費が国や自治体の財政を圧迫している

 奈良市の市議から「いま我が市の生活保護費は年間130億円、市の職員84名が生活保護課に張り付いている」と聞いて驚いた。5,200世帯のために奈良市の年間予算の11%が使われていることになる。大阪市の西成区では4人に1人が生活保護を受けているという。昔、貧困問題は地方の問題だったが、今や大都市問題なのだという話も経済学者から聴いた。国が1,000兆円の借金を抱え、社会保障と税の一体改革などと理屈をつけて消費増税に躍起になっているだけに、福祉とはなんだろう、日本国憲法には、第25条「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いているが、国家や自治体は税金で国民をどこまで面倒をみるべきなのか、増税を言う前にここの議論が充分だとは言えないのではなかろうか。

 私たちの子供の頃は、生活保護を受けるなんてとんでもない、お年寄りを養老院へ入れることも恥ずかしいと言われた。戦後の日本が成長過程をたどり核家族化する中で、育児や介護の社会化が叫ばれ、子供は保育所に入れるのが当たり前、お年寄りも家族で面倒看ることができないからと老人ホームも満杯、順番待ちの人達がいっぱいいる。したがって、介護保険料が毎年上がってくる。公立の安い保育所ができると、母親は子供を自ら育てるよりゼロ歳児から預けて働きに出るほうを優先させる。いつまでたっても待機児童はなくならない。老人医療費を安くすると確実に病人が増えるし、介護制度が出来て老人ホームに入れなきゃ損だという考え方も生まれてくる。生活保護に至っては、偽装離婚までして別れたはずの夫婦が2人とも支給され優雅な生活を送っているという話まで聞くし、「生活保護を受けられるようにしてあげます」と市役所との橋渡しをしている議員もいるようだ。

 生活保護は『生活に困窮する方に対しその困窮の程度に応じて必要な保護を行い健康で文化的な最低限度の生活を保障すると共に、自立を助長することを目的としている」はず。かつては、税金のお金でお世話になるなんて申し訳ない、恥ずかしいことだと思っていた日本人が、自立を目指すどころか、いつの間にか税金を使うのはオレ達の権利だから使える制度は使わないと損だという国民に成り下がったのではないか。こんなことを言うと、「お前は弱者を切り捨てようとしている」と反論する人がきっと出てくるだろう。グローバル化の名の下に雇用形態も非正規雇用者が多くなり、長引く景気の低迷で貧困化が進んでいるのも事実だけど、この半世紀の間に国民のモラルが低下しているのも問題だ。政治家も「福祉は充実させていきます」と耳障りの良いことばかり言っててはこの国はやがて滅んでしまう。