西安・敦煌の旅から

2011-10-26 10-17-35_0132  10月22日から28日まで、東大寺奉賛会のお誘いをいただき「玄奘三蔵の足跡を訪ねて~中国西安敦煌の旅」に参加、昨夜遅く戻った。二月堂院主の筒井寛昭様の講和を聞きながらの旅で、想像以上の収穫があった。とりわけ秦の始皇帝が作った兵馬俑と敦煌の莫高屈は圧巻で、中国大陸の歴史の奥深さを感じた。遣隋使、遣唐使の人達が難行苦行の末、何ヶ月のかけてやっとたどり着けた長安の都(今の西安)にわれわれは今一日で着いて立っていることに感慨を覚えるとともに、唯物主義の共産主義政権になって宗教が形骸化しつつあることがひしひしと伝わってきた。文化大革命によって仏閣は壊され、僧侶も還俗させられたと言う。結社の自由を禁止され布教活動ができない、昔はえらいお坊さんがいたのに今は観光客頼みのカネ儲けに堕してしまっているようだ。

 砂漠を走って西域南道への起点「陽関」跡も訪ねた。高校時代習った唐代の詩人王維の「渭城の朝雨軽塵をうるおし 客舎青々柳色新たなり 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西の方、陽関を出ずれば故人なからん」を思い出した。こんな自然環境の厳しいところを昔の人々はどんな思いで通ったのだろうか?でもシルクロードを克服した先人の苦労があったおかげで日本のいまの文化が存在することを忘れてはなるまい。

 余計なことだが、西安のホテル以外は、どこへいってもトイレが汚く鼻を突くような悪臭に充ちていた。「掃除に学ぶ会」の一員として非常に気になった。綺麗にしようという気持ちが湧いてこないのだろうか、かの国の人達は。

 帰りに、上海の今の名所となっている100階の展望台に登ったり、リニアモーターカーに乗って、なお中国人の案内人がこの国は「発展途上国ですからよろしく」と言っていることに複雑な気持ちで「経済は市場主義、政治は共産主義の一党独裁」がこれから先どうなるのかなと思った。