閉鎖的すぎる今の日本

 最近のニュースの中で、死後ずいぶん経ってから遺体が発見された話とか幼い子供の虐待や育児放棄(ネグレクト)の如何に多いことか、とりわけ大阪西区のマンションで幼児2人の遺体が見つかった昨日の事件は衝撃的だった。逮捕された母親は風俗店で働く23歳、昨年離婚してから2人の子供を1人で育てていたようだが、ニュースによると「育児がいやになって子供を残して家をでた。ご飯や水を与えなければ子供が死んでしまうのはわかっていた」と供述しているという。3歳と1歳の子供がどのような状態で死んでいったのか想像すると「なんとむごいことを」と胸を締め付けられる思いになる。この母親は犬畜生よりも劣ると誰しも思うが、子供を救う手立てがあったのではないかという気がするし、母親を非難するだけではかたづけられない問題があるように思う。

 今の日本社会があまりにも閉鎖的過ぎる。この事件も、なんども警察へ110番している人がいたり、民生児童委員の制度もあるのに部屋に入ることができず「なにもなかった」で済ませている。なにかいうとすぐプライバシーが侵される、セキュリティーが心配だとか人権を持ち出す人達がいるが、お互い近所にどんな人がすんでいるのかくらいはわかる社会であって欲しい。戦後のわが国は自由と個人主義が行過ぎて、子供にも1人ずつ個室や携帯電話を与えたり、かえってギスギスした閉鎖社会を作ってしまった。大いに反省すべきではないか。

 私がこんなことをいうと、それは政治が悪いからだと言う人が必ずいるだろう。日本人皆が自由主義や個人主義を履き違えていることに気づくべきだ。

 個人情報保護法というのもやっかいな代物だ。かつて、わたしは、自分の山林を管理してもらっている森林組合で「私の山の隣地の所有者を教えてください」というと「個人情報保護法の関係で教えられません」と言われたことがある。法律のために人間社会があるのではない。人間社会を円滑に機能させるために法律があるのだ。

 そういえば最近できた国会の議員会館は大層りっぱな建物だそうだが、秘書の方の話しによるといちいちセキュリティーチェックをしないとお隣の議員の部屋に行き来できないそうだ。私たちの頃の建物は、議員も秘書も自由に行き来できたからお隣どうしで「ちょっとお菓子ちょうだい、お客さんが大勢来たから。」とか「お湯ください」などと秘書も仲良く下町長屋みたいだった。確かに変な人が入らないようにはできるだろうが、議員会館の個室が全くの密室になっていいのだろうか。

 田舎ではいまでも留守なのに玄関に鍵のかかっていない家が多い。「あそこの嫁さんはようしゃべる人や」「隣の叔父さん昨日足を骨折しやはったみたいやで」とか他愛もないはなしがいつも聞こえる社会というのは良いものだ。インターホンでしかものが言えないマンションとはずいぶん違う。もう少しおおらかな日本に戻したいものだ。