喜光寺の南大門落慶法要式典に参列して

 行基菩薩創建「喜光寺」の南大門落慶法要式典に参列させていただいた。故高田好胤師から復興の命を受け喜光寺の住職に就任して20年、「南大門を復元再建したい」と絶えず言い続けてこられた山田法胤住職[薬師寺管主]の執念が結実したわけだ。菅原町の地元の人達、「いろは写経」で集められた浄財、ご縁のある企業や高い技術力を持つ宮大工など多くの人たちが山田住職の強い想いに動かされたからである。真新しい朱塗りの南大門は素晴らしい姿であったが、日本を代表する彫刻家中村晋也先生が製作された二体の仁王像にも圧倒された。東大寺の阿吽像とはまた違う迫力があった。また、文楽の奉納があり人間国宝竹本住太夫さんの浄瑠璃と桐竹勘十郎、吉田和生氏らの人形の動きが魅力的で、今日の慶事はなにもかも一流だなと思った。何人かの祝辞のなかで、塩川正十郎氏(元財務大臣)は「先祖のこころを取り戻そう、皆さんんおお孫さんに『喜光寺へ行け』といって欲しい」とおっしゃった。

 最後に山田法胤住職が、「わたしは20年先の日本はひょっとするとどこかの国の植民地になってるんじゃないかと心配しています。喜光寺を建てた行基さんは国家のために大きな仕事をされたかたです。形見分けということばがありますが、私たちも子供たちに財を残すのではなく国づくりのこころをつないでゆかねばなりません。私もそんな気持ちで国づくりのお役に立ちたいと思います。」と感激に涙をこらえながら熱い想いを吐露された。

 私は山田ご住職と永らくお付き合いをいただき、お世話にもなってきたが、宗教者として尊敬できる方だと思っている。20年にわたり努力されたことが今日実った喜びはさぞかしと我がことのように嬉しかった。それに引き換え、私はなんと未熟なことか、永い間政治の世界を彷徨いながらなにも成就できていないではないかと情けない気持ちにもなった。

 参列者のなかに「今の政治無茶苦茶やで、森岡さんもう一回やらなあかんよ。」とか「引退表明は早すぎる」など顔をみるとそんなことをいう人が何人もいた。お世辞だとわかっていながら、山田住職の「ひょっとしたら20年先の日本はどこかの国の植民地になっているかも・・・・」という言葉と一緒になってこころが乱れてくる。選挙に出ようとは思わないが、「森岡正宏の憂国塾でも開くかな、誰も来ないかもしれないな」と1人で考える。国民が今の政治に嫌気が指しているのは確かだ。民主だ、自民だという次元の話ではない、政治家の言動が軽すぎて政治が信頼に値しない状態だと思う。イギリスでも、永い間続いた労働党・保守党の二大政党時代に自民党が加わって大きなうねりが起きているという。ほんとに難しい世の中になっているんだなあと実感する。