大遣唐使展

 先日、奈良大学の寺崎教授から「長屋王と遣唐使」というテーマで講演を聴く機会がありいたく感動した。平城遷都1300年にふさわしいお話であっただけではなく当時の歴史をおさらいする意味でずいぶん勉強になった。聖武天皇の後継者を決めるのに藤原氏から疎まれて「謀反の疑いあり」と濡れ衣を着せられた人くらいしか長屋王についての知識がなかったが、恵まれた血筋に加えいまの総理大臣のような立場で国際感覚もあり教養人としても一級の人物であったと教えていただき、邸宅跡(いまのイトーヨーカドーの場所)から3,5万枚の木管が発見されその解読により当時の活躍ぶりを垣間見ることができると言われた。また、遣隋使・遣唐使が果たした役割、大陸から持ち帰った数々の文化・文物、交流の歴史、鑑真和上のような日本に渡って大きな足跡を残した人達など多くの知識を得ることができた。

 寺崎教授の講演の印象がまだ強く残っている昨日、奈良国立博物館で「大遣唐使展」の内覧会があった。これまた凄いインパクトのある展示品がいっぱいあり感激した。そのうえ、今日はNHKテレビで「大仏開眼」の前編があり唐から帰った吉備真備や玄ぼうらが国内の政争に巻き込まれていくようすがよくわかった。下級官吏の子として生まれた真備は、遣唐使に参加したことで立身出世を遂げた人物の代表格、阿倍内親王[聖武・光明の娘、皇太子、のちの孝謙・称徳天皇]に儒学・歴史などを教え、最終的に右大臣にまで上りつめたという。

「大遣唐使展」の資料には、阿倍仲麻呂と藤原清河が日本に帰りたいのに帰れなかった様子や鑑真和上の偉大なる功績、唐から持ち帰った仏教経典など興味をそそられるものが盛りだくさんであった。

 752年に出発した第12次遣唐使が長安に着いて翌年元旦の朝賀の儀式に新羅との間に席次争いがあったというのも興味深い。新羅が東の第1位の座を占め、大食国(アッバース朝イスラム帝国?)の上位におかれたのに対し、日本は西側で吐蕃(チベット)に次ぐ第2位を与えられた。日本の副代表は新羅が日本の朝貢国であることを理由に猛然と抗議し、その主張が認められて順位が改められたそうだ。当時からわれわれの先輩は国際社会での地位を保つため苦労をしてくれていたことがよくわかる。

 わたしは奈良国立博物館の回し者ではないが、平城遷都1300年の意義をかみ締めるためにも是非奈良の「大遣唐使展」を見てほしいとおもう。