恩人浅沼誠夫氏のご逝去

 浅沼誠夫氏[株式会社淺沼組会長]が亡くなられた。これまでの私の人生における大恩人の1人であっただけに淋しく悲しい。

振り返れば、わたしは大学を出て株式会社淺沼組という総合建設業の会社に就職した。時の社長浅沼猪之吉氏と私の祖父森岡義信と郡山中学と同期であったご縁から浅沼さんにお世話になったものである。しかし、当時総合建設業は相当いろんな面で遅れていることに気がつき推されて組合活動に入っていった。僕たちの交渉相手のトップはその頃常務であった浅沼誠夫氏、私も若かったから正義感丸出しでこの常務を相手に同族会社の欠点など随分辛らつなことを言ったり組合のチラシに書いたりした。でも、浅沼氏は誠心誠意会社の現状と自分の思いを述べ、この若造を無視するようなことはなさらなかった。むしろ、会社を良くする為に協力してくれという姿勢だった。また仕事の面でも営業担当の私のやることによく理解を示しご指導をいただいた。多くの社員に慕われている経営者であった。

 奥野誠亮先生の秘書として政治の世界に入るときも決断の決め手になったのはこの方の一言だった。「いやになったら帰ってこい。いつでも君の席は空けておくから」、家内も私が会社を辞めて見知らぬ世界に入っていくことの不安で東京行きに反対していただけに救われた。昭和48年1月のことである。それから36年経った。ずーっとこの間も私を大事にしてくださったし奥野誠亮先生にも私淑しておられた。

 昨日、同期入社の田島君とともに生駒のご自宅を訪ね、お別れしてきた。実に安らかなお顔をしておられた。ご遺体のそばで奥様からいろいろなお話を聞いていると、昔のことやご生前の元気なときのお姿が次々と蘇ってきた。こころから感謝の気持ちを込めて合掌した。浅沼会長のご逝去は私にとっても一つの時代が終わったという感じがする大きな出来事である。